Reconsideration of the History
133.どちらが相手に対する蔑称か? ── 「ちゃんころ」と「日本鬼子」 (2004.2.21)

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那は、

「『支那』は中国に対する蔑称である!!」

と言った理由で、日本に対し「中国」の呼称を使う事を要求してきた事は先述した通りですが、「支那」とは別にもう一つ彼らが考える蔑称があります。それは、「ちゃんころ」と言うものです。

「『ちゃんころ』は中国人に対する蔑称である!!」

と言った「定説」によって、現在では死語と化した感がありますが、対する支那人は、この「ちゃんころ」に匹敵する、いやそれ以上の蔑称を日本人に対して、時折使う事があります。そこで、今回は、ややもすれば忌避されがちなこの蔑称について、触れてみたいと思います。

ず、支那人に対する蔑称とされる「ちゃんころ」について、何故、支那人をして「ちゃんころ」と呼ぶ様になったのか? と言った所から見てみましょう。前回のコラムで触れた通り、日本ではその昔、支那人の事を「唐人」と呼んでいました。文字通り、「唐土(もろこし)の人」と言う意味です。それが、日本が明治維新を経てアジアで最初に近代化すると、清国 ── 当時の支那から留学生が来日する様になったのです。この時、彼らは自らを「清国人」(チンクオレン Ch‘ing-kuo-ren)と名乗ったのですが、それを耳にした日本人は発音が上手く聴き取れず、「ちゃんころ」と覚えた訳です。まあ、綴りが同じ「Hepburn」であるにも関わらず、日本語のローマ字表記法では「ヘボン」式となり、有名女優の名前ではオードリー=「ヘップバーン」になる事を考えれば、さもありなんと言った所でしょう。つまり、「ちゃんころ」の呼称は「支那」同様、支那人自身が「発明」した事になる訳です。その後、支那人は「中国人」(チュンクオレン Chung-kuo-ren)を名乗る様になったのですが、「清国人」と発音的に似通っていた為、日本ではそのまま「ちゃんころ」も継承されたのです。しかし、支那人は

「『ちゃんころ』には支那人に対する侮蔑が込められている」

と主張します。確かに、そう言った面が皆無とは私も言いません。廬溝橋事件(1937年7月7日)や通州事件(同年7月29日)等を経て、「支那事変」(日華事変・日中戦争)に発展していく過程の中で、日本の世論が「支那を撃つべし!!」と沸騰した状況下で、戦時日本が米英両国を「鬼畜米英」と称したり、逆に米国が日本人を「ジャップ」(Jap=Japan)あるいは「ニップ」(Nip=Nippon)と称したのと同様、当時の支那が日本にとって敵国であった以上、それは致し方なかった事だと思います。だからこそ、戦後、日本で「ちゃんころ」が半ば死語と化していった訳です・・・が、それとは対照的に、支那では日本を指す蔑称が庶民レベルに於いてさえ、厳然と生きており、今尚時折使われているのです。

那で今尚使われている日本に対する蔑称とは一体何か? それは、「日本鬼子」(リーペンクィズ Ripen Kuitzu)であり、「東洋鬼」(トンヤンクィ Tungyang-kui)であり、そして、「小日本」(シャオリーペン Shao Ripen)なのです。では、「日本鬼子」や「東洋鬼」に登場する「鬼」とは一体何の事なのかと言うと、一言で言えば、「キョンシー」や「ゾンビ」と言った死霊(しりょう)の類を指します。つまり、「日本鬼子」は「日本のゾンビの子」、「東洋鬼」は「東洋のゾンビ」と言った意味になるのです。これは、かつて日本人が米英両国をして「鬼畜米英」と蔑称したのと同じです。日本人が支那人を指して使った「ちゃんころ」が単に原語(「清国人」であり「中国人」)が訛(なま)って出来上がった経緯を考えると、「日本鬼子」・「東洋鬼」は、「日本」・「東洋」と言う地域呼称に「鬼」(ゾンビ)と言う全く別の語を追加して作られた訳で、支那人が騒ぐ「ちゃんころ」以上の、それこそ正真正銘の日本に対する蔑称と言えるのです。

方、「小日本」と言う語は、嘗(かつ)ての「大日本」(大日本帝国)を皮肉って作られた語で、戦後の焼け野原の中から奇跡的な復興を遂げ、経済大国に登り詰め繁栄を謳歌した戦後日本に対する一種の嫉妬心(ジェラシー)から、何としても、日本を貶(おとし)め、「中華」たる自国(支那)の眼前に跪(ひざまず)かせたい、と言う意味合い(他人の不幸を願う心情)が込められています。蛇足ですが、石原慎太郎・東京都知事が、彼の国の駐日大使に「『支那』と言う呼称は差別的か?」と聞いた際、その大使は、

「日本が『本』で、支那が『支』と言うのは止めて欲しい。片仮名で書く(「シナ」)のなら構わない」

と答えたそうです。「本」・「支」が、本社・支社と言った使われ方をされる事から、日「本」・「支」那では、支那が日本の風下に立たされる様なものであり、その様な事は「中華」たる自国のプライドが断じて許さない、と言った思いがあるのでしょう。そして、その延長線上に、「中華」に対する「小日本」と言う願望が見え隠れしているのです。

後に、改めて、皆さんに問いかけたいと思います。かたや、相手が名乗った「清国人」あるいは「中国人」を上手く聴き取れず「ちゃんころ」と解した日本と、ゾンビを意味する「鬼」を付した支那に於ける「日本鬼子」・「東洋鬼」と、一体どちらが相手に対する蔑称なのでしょうか? 又、ほとんど死語と化している「ちゃんころ」と、今尚、庶民レベルで使われる事のある「日本鬼子」・「東洋鬼」を較べてみた場合、日本人と支那人のどちらが現在も相手を侮蔑していると言えるでしょうか? 私は、「ちゃんころ」、「日本鬼子」・「東洋鬼」と言う「蔑称」を通して、皆さんにこの事を改めて考えて頂きたいと思います。(了)


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