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関東軍特別演習 (関特演) 1941

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関東軍特別演習 『日満議定書』に基づき満洲国防衛の任を担っていた日本の関東軍(陸軍)が、昭和16(1941)年7月7日、満蒙国境の警備及びソ連軍による満洲侵攻の阻止を名目に、朝鮮及び台湾駐留の日本陸軍に対し動員令を発令。内地(日本本土)からも14個歩兵師団及び弾薬・戦闘車両約300輌・軍馬約400頭を動員。総計74万以上の大兵力を派遣集結させた軍事措置。表向きは上記の通りだが、実際は同盟国であるドイツ第三帝国による西からのソ連侵攻に呼応し、東からの挟撃を目的とした事実上の対ソ戦争準備行動であった。然し、その目的を秘匿する為、「関東軍特別演習」或いは「関東軍特殊演習」と呼称された。尚、日本は満洲に大兵力を集結させたものの対ソ戦に踏み切らなかった事から、ソ連(及び現ロシア)『日ソ中立条約』の一方的破棄及び対日参戦を自己弁護する為に主張している日本の「中立義務違反」には妥当性は無い。



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