Reconsideration of the History
150.A級戦犯分祀? 国立追悼施設建設? ── 「靖国問題」解決のウルトラC(2005.7.8)

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靖国神社 と一月(ひとつき)もすると、小泉総理の参拝の是非、公的参拝か?私的参拝か?と言った議論が俎上(そじょう)に上(のぼ)ってくる件(くだん)靖国神社(右写真)支那・韓国は「A級戦犯を分祀せよ!!」とか、「靖国神社に替わる無宗教の国立戦没者追悼施設を建設せよ!!」と言った明らさまな内政干渉然とした主張・要求を日本に突き付け、日本国内の「反日派」もそれに便乗する始末。「近隣諸国への配慮」から、総理以下閣僚の参拝は自粛すべきなのか? 東條英機陸軍大将以下、所謂(いわゆる)「A級戦犯」と呼ばれている英霊の御魂(みたま)を分祀(ぶんし)すべきなのか? 更には、支那・韓国の要求通り、靖国神社に替わる無宗教の国立戦没者追悼施設を日本が建設すべきなのか? 私は、これら全てに「NO」と言います。そして、これら全ての解決法に替わる代替案を提示したい。と言う訳で、今回は、所謂「靖国問題」に対する私なりの処方箋を書いてみたいと思います。

A級戦犯の御魂を分祀すべきか? この問題については、既にコラム『148.日本は最早、反省も謝罪もする必要は無い!!』の中で論じていますし、靖国神社についても、コラム『35.公人か? 私人か? 靖国神社閣僚公式参拝考』で論じていますので割愛し、支那・韓国が執拗に要求している「靖国神社に替わる無宗教の国立戦没者追悼施設」建設問題について論じます。結論から言えば、そんなに建設したいのならば、すれば良い。それが私の考えです。但(ただ)し、それには前提条件があります。

(そもそ)も、靖国神社に替わる無宗教の国立戦没者追悼施設を建設せよ!!」と要求してきたのは、支那・韓国の側です。日本国内 ── 日本国民の中から自発的に沸いてきたものでは決してありません。そう言った経緯と、平成不況に喘(あえ)ぎ、上は国家財政から下は庶民の懐(ふところ)に至る迄、台所事情が厳しい現状を考慮すれば、数十億円から数百億円、いや、ひょっとすれば数千億円もかかるであろう莫大な土地取得費用・建設費用、そして、その後も永続的に支出される維持管理費用を一体誰が負担するのか? 国費 ── 詰まり、我々の税金を投入するのか? 冗談じゃありません。日本が支那・韓国の要求を呑んで、「靖国神社に替わる無宗教の国立戦没者追悼施設」の建設をするのならば、日本として支那・韓国にこの様な前提条件を突き付けましょう。

「分かりました。あなた方の要求を受け入れて『靖国神社に替わる無宗教の国立戦没者追悼施設』を建設しましょう。但し、日本は財政事情が厳しく費用を負担出来ません。その様な訳で、土地取得費用・建設費用・永続的な維持管理費用の全額を負担して貰いたい。」

と。そして、それこそ前代未聞・当代随一の壮麗な大宮殿でも造る気か?と思える程、目の玉が飛び出る様な莫大な予算(費用見積)を提示してやれば良い。「造れ!!」と言う以上、言った人間が費用を負担するのは当然です。然し、この様な前提条件(要求)を日本が支那・韓国に突き付ければ、彼らはこう答えてくる筈です。「NO!! 我々はとても、そんな費用は負担出来ない」と。そうしたら、再度、支那・韓国にこう言ってやりましょう。

「『靖国神社に替わる無宗教の国立戦没者追悼施設』を建設したいのは山々だが、我々日本にはその為の費用が工面出来無い。だからこそ、あなた方に頼んだ訳だが、あなた方も工面出来無いと言う。仕方が無い。建設は諦(あきら)めましょう。」

と。これで、この話はお仕舞いになります。支那・韓国の側も、日本を突(つつ)けば逆に「費用負担」を求められる、となれば、藪蛇(やぶへび)になりますから、下手(へた)に話題を振ってこなくなる筈です。(少なく共、今迄と同じトーンでこの問題を議論の俎上には上げてこなくなる)

(さて)、愈々(いよいよ)此処(ここ)からが本題です。私は何も、支那・韓国が要求している「靖国神社に替わる無宗教の国立戦没者追悼施設」(以下、単に「国立追悼施設」)建設に対して「NO」と言うだけで終わらせる積もりは毛頭ありません。それでは、この問題が何ら解決した事にならないからです。其処(そこ)で、私が提起したい解決法、言わば、「靖国問題解決のウルトラC」とでも言えるアイデアを一言で言い表せば、それは、

靖国神社の「半国有化」

です。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑 述の通り、国立追悼施設の建設には莫大な費用が必要です。支那・韓国へ突き付ける前提条件が単なる「言い逃れ」では無く、本当に日本の国家・国民の財政にとって相当な負担を強(し)いるであろう事は、素人にも分かる事です。然し、その様な追悼施設が今迄全く無かったと言うのならば、たとえどれ程の莫大な費用がかかろう共、建設せねばなりません。それが、先の大戦に於いて、国家・軍の命令で戦地へと赴(おもむ)き散華(さんげ)された英霊に対する国家・軍としての「責務」だからです。然し、現実には明治維新以来、累計で247万柱もの英霊を祀(まつ)靖国神社と、大東亜戦争(太平洋戦争)に於いて外地で散華された35万柱もの遺骨を納める千鳥ヶ淵戦没者墓苑(右写真)と言う二つの慰霊・追悼施設がある訳です。

は、「先の大戦に於いて、国家・軍の命令で戦地へと赴き散華された英霊に対する慰霊・追悼は国家・軍としての「責務」である」と書きました。そして、それを担うものとして、靖国神社千鳥ヶ淵戦没者墓苑の存在を挙げました。然し、千鳥ヶ淵戦没者墓苑は良いとして、靖国神社は一宗教法人であり、其処へ総理以下閣僚が参拝する事は、『日本国憲法』第20条の禁じる「政教分離の原則」に抵触するから、けしからん!!と言う意見もあります。

     日本国憲法

   第20条【信教の自由】
  1. 信教の自由は、何人(なんぴと)に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
  2. 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
  3. 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

然し、靖国神社が国に替わって247万柱もの英霊を祀っている ── 慰霊・追悼しているのは厳然とした事実です。ならば、いっその事、靖国神社を「半国有化」してしまえば良い訳です。

泉内閣の最大の目玉は今般、衆議院で可決され、参議院に議案が付託された所謂『郵政民営化』法案です。(私は郵政民営化に断固反対ですが) その心は、

「何でもかんでも官(国家)がする必要は無い。民間に委託出来るものは、民間に委託すれば良い」

と言うものです。ならば、今現在、国家としての正式な国立追悼施設が無く、かと言って莫大な費用を捻出して建設する事が困難として、本来、「先の大戦に於いて、国家・軍の命令で戦地へと赴き散華された英霊に対し、国家・軍の責任に於いてしなければならない慰霊・追悼」を、靖国神社に「委託」してしまえば良い訳です。然し、ただ「委託」すると言うのも何ですから、毎年、国家財政からそれ相応の「委託料」(維持管理費用)を支払い、実質的に「半国有化」 ── 言わば、

靖国神社を国と神社による「第三セクター」

にしてしまう訳です。従来、靖国神社が単なる一宗教法人であるが為に、総理以下閣僚の参拝に「けち」が付いた訳ですが、国と神社による「第三セクター」ならば、一方の当事者である総理以下閣僚が参拝しても何ら不自然な事ではありません。

国神社の「半国有化」。反対勢力は『日本国憲法』第20条第1項

「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

を盾に取って、猛烈に反発する事でしょう。然し、同条第1項の「国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」に果たして抵触するのかどうか? 「国から戦没者追悼・慰霊を委託される」事が、「国から特権を受ける」事になるのか? 私は必ずしもイコールたり得ないと考えます。もしも、委託が特権に当たると言うのならば、旧郵政省から日本郵政公社を経て、民間の宅配業者へ解放される予定の郵便事業も又、ある意味に於いて「郵便事業と言う経済利権=特権の享受」に当たる筈です。然し、こちらの方は「市場開放・民営化」として正当化される。整合性が無い訳です。

り返しますが、支那・韓国からの外圧=内政干渉に屈し、莫大な費用を掛けて国立追悼施設を建設する必要はありません。既存の、然も戦後60年に亘って営々と国家に替わって戦没者の追悼・慰霊の任に当たってきた靖国神社に従来通り任せ、国はその対価として「委託料」を支払い、それを以て、靖国神社をして実質的な国立追悼施設の代替とする。私はそれで充分だと思いますし、靖国の杜(もり)に静かに眠る英霊を無闇に叩き起こすが如き、国立追悼施設の建設・分祀は、英霊も決して喜びはしないだろう、と思っています。

   余談(つれづれ)

しも、日本側が、支那・韓国の「靖国神社に替わる無宗教の国立戦没者追悼施設を建設せよ!!」と言う要求に対して、

「分かりました。あなた方の要求を受け入れて『靖国神社に替わる無宗教の国立戦没者追悼施設』を建設しましょう。但し、日本は財政事情が厳しく費用を負担出来ません。その様な訳で、土地取得費用・建設費用・永続的な維持管理費用の全額を負担して貰いたい。」

と逆提案したとして、支那・韓国が「NO!! 我々はとても、そんな費用は負担出来ない」と言わず、日本側提案を受け入れてしまったら、どうするのか? その時は、支那・韓国に費用を全額拠出させて国立追悼施設を建設する迄の事です。とは言え、建設されたからと言って必ずしも、其処(そこ)へ参らなければならないと言う理由はありません。何故ならば、『日本国憲法』第20条第2項に斯(か)くの如く謳(うた)われているからです。曰(いわ)く、

何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

と。いくら立派な国立追悼施設が建設されても、其処への「参拝」を国民に強制する事は出来ません。そんな事をすれば、それこそ憲法違反です。総理以下閣僚も、その点では一般国民と同じです。支那・韓国に莫大な費用を拠出させて壮麗な施設を建設しよう共、靖国神社と国立追悼施設のどちらへ参るかは、はっきり言って個人の自由です。外観は立派ではあるが「中身が空っぽ」の国立追悼施設へでは無く、247万柱もの英霊の御魂が眠る靖国神社へ引き続き参るのも、又、一本筋が通った事なのです。

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