Reconsideration of the History
35.公人か? 私人か? 靖国神社閣僚公式参拝考(1998.8.6)

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年ももうすぐ「あの日」がやってきます。8月15日、終戦記念日。そして、この日が近づいてくると、毎年必ず是非論が飛び交う靖国神社への閣僚公式参拝問題(以下、単に「靖国参拝」と略)。首相以下閣僚が、「公人」・「私人」の違いはあれ、相次いで参拝し英霊の魂(みたま)に玉串を捧げます。さて、この靖国参拝ですが、左翼勢力や中韓両国を中心とするアジア諸国が反発し、時の内閣を糾弾します。しかし、私は敢えて言います。靖国参拝はあくまで「公人」として参拝すべきだと。こう主張すると、皆さんの中には私が、右翼かはたまた国粋主義者かと思われる方もおありでしょう。私自身、皆さんにどう思われても結構ですが、ちょっと待って下さい。なぜ、私が靖国参拝を肯定するのか? なぜ、私が「公人」の立場での参拝を望むのか? これから書く事を読まれた時、皆さんにも納得して頂けるものと信じます。

て、まず最初に靖国神社とは一体どんな所なのか? まずはここから書いてみたいと思います。靖国神社は東京九段坂上にあり、その起源は明治2(1869)年創建の招魂社で、明治12(1979)年、靖国神社と改称されました。この靖国神社は、幕末の国事殉難者・戊辰戦争での官軍(新政府軍)戦没者、そして、明治以降の戦没者を護国の英霊として合祀する神社で、終戦迄の祭神(英霊)は実に240万柱を数えます。他の神社が天照大神(アマテラスオオミカミ)や諏訪大明神等の「神々」を祭神としているのに対して、靖国神社が「英霊」を祭神としている点一つ取っても、この神社が極めて特殊な神社である事がお分かり頂けるでしょう。つまり、この神社の祭祀目的は「英霊の鎮魂」にあるのです。ちなみに靖国神社には春秋二季の例大祭の他に、戦前には「臨時大祭」と言うものがありました。通常の例大祭には天皇の名代として勅使が列席しましたが、臨時大祭には天皇自らが列席しました。前にも書きました通り、靖国神社の祭神は「英霊」(彼らは戦前の天皇制から見れば「臣民」、つまり「天皇の臣下」)です。通常、天皇は伊勢神宮等、「皇祖神」(皇室の祖先神)を祀(まつ)る神社へしか参拝しない事を見ても、この靖国神社参拝は極めて「異例」な事なのです。そして、この事は天皇自らが「国家元首」(つまりは「公人」の立場)として、「国家の為に殉じた英霊」を鎮魂する為の参拝であった事を物語っているのです。

は、靖国参拝に代表される戦没者への鎮魂は日本独自の特殊な行動なのでしょうか? 決してそうではありません。なぜなら外国でも、「英雄墓地」や「無名戦士の墓」等の名で、「国家の為に殉じた英霊」を手厚く葬っています。又、終戦記念日が近づくと、日本各地で様々な鎮魂行事(戦没者慰霊祭等)が執り行われる様に、外国でも同様な行事が執り行われます。ですから、ことさら日本だけが「特殊」だとして非難されうる理由はないのです。更に言えば、靖国神社に祀られている「英霊」は志願兵もいたでしょうが、その多くは先の大戦において、通称「赤紙」と呼ばれた一枚の召集令状で徴兵され、そして戦地で露と消えた人々なのです。つまり、彼ら英霊の多くは国家(軍)の命令で徴兵され、そして戦没した訳です。その英霊を鎮魂する為に、現職閣僚が靖国参拝をする事のどこに非難されるべき点があるのでしょうか? 首相以下閣僚−内閣とは日本の政治を国民に代わって実際に執行する「日本国の代表」です。その彼らが日本の為に戦没した英霊を「日本国の代表」として鎮魂する事のどこに非難されるべき点があるのでしょうか? 私は諸外国や左翼勢力への変な「配慮」から「私人」の立場で参拝する事に異を唱えます。むしろ、首相以下閣僚は「公人」の立場で参拝すべきで、そうあってこそ始めて国家の為に殉じた「英霊」を鎮魂する事が出来ると思うのですが、皆さんは如何でしょうか?

後に、靖国神社と言うと、戦前の「国家神道」と直結して排斥する思想や勢力が存在しますが、これにも異を唱えます。確かに、戦前の靖国神社(及びその地方分社である護国神社)陸海軍省所管の特殊神社で、天皇崇拝・軍国主義普及の一助を担ったのは事実でしょう。それは私も認めます。しかし、現在は東京都知事認証の単立宗教法人で、国家神道の「総本山」ではありませんし、又、国民に対しても崇拝や参拝を強要していません(もし、靖国参拝強要が「悪」ならば、イスラム教の「メッカ巡礼」も「悪」と言う事になってしまう)。その辺りを混同し、靖国参拝イコール軍国主義と考えるのだとしたら、それはあまりにも短絡的ではないでしょうか? かつての靖国神社(の性格)と、現在の靖国参拝は別個に考えるのが適切だと思うのです。

   余談(つれづれ)

皇の戦争責任発言で、現職当時、物議を醸した 本島長崎市長の今回の「発言」(長崎への原爆投下を肯定する内容)には、最早開いた口が塞がりません。かつて、広島と共に原爆の災禍を被った都市の市長迄勤めた人物がすべき発言ではありませんでした。と同時に、本当に歴史教育を受けたのか? いや、それ以前に日本人なのか? と疑いました。なぜなら、彼の思想信条の多くが、このホームページ(帝國電網省)の開設目的(つまりは私の思想信条)とは対局にある「外国から見たニッポン」派だったからです。これが、一個人としての発言ならば、許されもするでしょうが、被爆地・長崎の市長を経験した人物となると、「憂慮」せざるを得ません。彼は、被爆者やその家族の事を理解しているのでしょうか? 私には彼の思想信条が全く理解できません。と同時に、こんな人物が市長だった長崎市民に同情の念さえ覚えます。


暦(平成10年8月)


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