Reconsideration of the History
84.支那人が避けて通る恥部 ── 通州事件 (2001.1.7)

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和12(1937)年7月29日、北京の東方は、冀東(きとう)防共自治政府の首都・通州(下写真は当時の通州)で「大虐殺」がなされました。いわゆる「通州事件」と呼ばれるものです。「南京大虐殺」が大々的に取り上げられるのとは反対に、何故か、意図的に年表からも削除されている事が多く、教科書にも全く取り上げられる事の無い、この「通州事件」について、今回は書いてみたいと思います。

当時の通州 「通州事件」 ── 又の名を「通州大虐殺」とも呼ばれるこの事件は、「廬溝橋事件」の3週間後、起こりました。当時、通州には、「廬溝橋事件」の余波で避難していた婦女子や朝鮮人(当時は日本国籍だった)を含む日本人居留民、天津特務機関長・細木繁中佐ら軍人等200余人が住んでいました。通州には、日本軍の守備隊も駐屯していたのですが、たまたま、主力が南苑攻撃の為、町を離れ、僅か110名の留守部隊しか残っていなかった所へ、支那保安隊千数百名が襲撃を掛けたのです。

州を襲撃した支那保安隊は、多勢にものを言わせて日本軍守備隊を全滅させ、余勢を駆って、何とあろう事か、日本人居留民をも「標的」にしたのです。支那保安隊は、日本人居留民を通州城内に全員集め、城門を閉めた上で(要は城外へ逃げられない様にして)、日本人居留民の住宅一軒々々に火を放ち、女性には暴行を加えた上で局部に丸太を突き刺す等して殺害、子供は両手・両足を切断し、男性には首に縄を巻き付けた上で引き回す等、「残虐」の限りを尽くしたのです。前回のコラム『83.「日本軍国主義」の象徴 ── 「南京大虐殺」等あり得ない!!』で指摘した「屠城」。正にその「屠城」が現実のものとして、支那保安隊によって繰り広げられた訳です。

「廬溝橋事件」は、日本軍と支那・国民党軍と言う軍隊同士による軍事衝突でした。しかし、「通州事件」は、支那保安隊による日本人居留民 ── 「民間人」への殺戮行為でした。これは、明らかに国際法違反です。しかも、その殺害方法が、正に「屠城」そのものであり、残虐極まりないものであった事も重要です。支那は現在も、ありもしなかった「南京大虐殺」を持ち出しますが、こと「通州事件」については、自らの過ちであるにも関わらず、謝罪も補償も一向にする気がありません。支那が「正しい歴史認識」と言うのであるならば、虚構の「南京大虐殺」を主張する前に、まず「通州事件」における日本人居留民虐殺について明確に謝罪すべきです。

して、もう一つ、言いたい事があります。「廬溝橋事件」発生後、日本は、現地解決・戦線不拡大方針を表明し、国民党軍との間に停戦協定が成立していました。要は、日本としては支那とこれ以上、事を構えたくはない。日本は支那との全面戦争は欲していない。だからこそ、事態をなるべく穏便に済ませたいと思っていたのです。しかし、支那は日本側のそんな期待を裏切って、「通州事件」を起こしました。当然ながら、日本の世論は「支那を撃つべし!!」と激怒沸騰しました。この時も日本軍は隠忍自重し、本格的な戦端を開こうとはしませんでした。やはり、支那との全面戦争を欲していなかったからです。しかし支那は、8月13日、上海租界の日本人居留民を警備・保護する目的で駐屯していた日本海軍陸戦隊に対して、国民党正規軍10個師団(20万人)もの大兵力を配置して、攻撃してきたのです(第二次上海事変)。海軍陸戦隊は、警備を主任務とする小規模軍隊です。その海軍陸戦隊が国民党正規軍(本格的な戦闘をする軍隊)10個師団を相手に、到底持ち堪(こた)える訳がありません。「帝國臣民ヲ保護スヘシ」として、上海租界の日本人居留民「保護」を任務としていた海軍陸戦隊は、遂に陸軍に対して派兵を要請。8月15日、蒋介石が「対日抗戦総動員令」を発令した同日、日本海軍機が南京を空爆し、遂に8年もの長期に及ぶ全面戦争 ── 「支那事変」(日華事変・日中戦争)へと発展していったのです。

し、「廬溝橋事件」後の停戦協定が守られていたなら(支那側は幾度と無く協定違反を繰り返した)、「通州事件」が起きなかったなら(あの事件で日本の世論を硬化させた)、そして、「第二次上海事変」による攻撃が無かったなら(全面戦争に発展する切っ掛けを作った)、日本と支那の全面戦争は起きなかったのかも知れません。昔から、日本には「喧嘩両成敗」と言う言葉があります。喧嘩をした同士双方に非があるのだと言う意味です。そう言う意味では、蒋介石(第二次上海事変で先制攻撃)毛沢東(廬溝橋事件で日本軍に発砲)による「挑発」が、「支那事変」を招いた共言え、闇雲に「日本軍国主義」を糾弾して止まない支那にも「支那事変」における「戦争責任」があると言う事です。(了)


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