Reconsideration of the History
241.「コメ」は絶対聖域! TPP参加で日本の稲作文化を壊滅させてはならない!! (2011.11.23)

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本国内に於いて、主に製造業界は賛成、農畜産業界は反対と事実上、国論を二分している「環太平洋戦略的経済連携協定」(Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement;略称はTPP)。加盟国間で工業品・農畜産物の区別無く全品目の関税を撤廃、政府調達や知的財産権、医療サービス等、多岐に亘る分野に於いて非関税障壁を撤廃し自由化するこの協定に対し、日本は平成23(2011)年11月11日、野田佳彦総理自身が記者会見に於いて、

「明日(平成23年11月12日)から参加するホノルルAPEC首脳会合に於いて、TPP交渉参加に向けて関係国との協議に入る事と致しました」

TPP協議参加を表明した野田佳彦総理
TPP協議参加を表明した野田佳彦総理
平成23(2011)年11月11日夜の記者会見に於いて、TPP交渉参加に向けて関係国との協議に入る事を表明した野田総理。反対派に「配慮」する為、発表を一日延ばした上に、「実質的な参加」にも関わらず「参加に向けての協議」等と言葉遊びを弄し、剰(あまつさ)え協議前から「何時(いつ)でも途中離脱可能」等と無責任な発言をする総理に、TPPで日本の主張を通す事等出来るのだろうか?
と表明しました。野田総理は「交渉参加に向けての関係国との協議」と言う点を強調し、「交渉参加では無い」し、「途中離脱も可能」との考えを示しましたが、日本国内に於いては日本経団連の米倉弘昌会長が「交渉途中の離脱はあり得ない」と批判。更に米国からもワイゼル首席交渉官が日本の途中離脱論を牽制する発言をしており、野田総理自身がいくら「交渉参加に向けての関係国との協議」と強調した所で、他国は「日本が交渉に参加する」と見ている訳で、この意識の乖離(かいり)からして、日本が自国に有利な条件を盛り込む努力をし、それが叶わなければさっさと「足抜け」出来る等と考える事自体が、既に甘い判断であると言えるでしょう。然(しか)も、現在のTPP加盟国はシンガポール・ブルネイ・チリ・ニュージーランドの4ヶ国で、参加を表明しているオーストラリア・ペルー・米国・ベトナム・マレーシア・コロンビア・カナダの顔ぶれを見る時、日本がこの「多国間交渉」に参加したとしても、世界第一位の経済大国・米国が自国の失業者対策や経済浮揚の為に「多国間交渉」の名の下(もと)、世界第三の経済大国・日本に対する「事実上の二国間交渉」を以て対日圧力を強化してくる事は火を見るよりも明らかです。そうなった時、野田総理 ── 民主党政権 ── が、

やっぱ、やーめた!!

とすんなり離脱する事が出来るのでしょうか? 私は一度協議に参加すれば、それがたとえ「交渉参加に向けての関係国との協議」だったとしても、世界経済への影響力が小さい経済小国ならいざ知らず、第二位から第三位に転落したとは言え相変わらず経済大国である日本が簡単に離脱を認められる事等到底あり得ないと考えますし、それでも強引に離脱したりすれば、日本に対する信用に大いに傷が付くであろう事も目に見えています。結果、ずるずると交渉に引き込まれ、国論の統一もこれと言った戦略も無い儘(まま)に相手側(主として米国)に有利な条件 ── それはとどのつまり、日本にとって不利な条件 ── を呑まされるのがオチであろうと想像しています。であるならば、「交渉からの途中離脱」よりも「最初から参加しない」事の方が、日本外交にとって遙かにダメージは小さいのでは無いか? 私はそう考えて居ます。

(さて)、TPP参加に断固反対している農業界 ── とりわけ「コメ」(米)に関しては、組織として反対しているJA全中に対して、

何を今更、おまえらが!!

と言う思いが私もありますが、だからと言って結果的に直接影響を受け、ダメージを蒙るのは他でも無い稲作(コメ)農家自身です。平成5(1993)年、日本は記録的冷夏に襲われ米不足に陥りました。この時、日本の農林水産省は、タイから260万tものタイ米を輸入、食料品店で目にしたり、実際に購入された方も多々居(お)られた事と思います。然(しか)し、このタイ米は日本米(ジャポニカ種)とは異なるインディカ種で、抑(そもそ)も調理法が異なる事や(日本は炊いて主食とするが、元々、タイ米はバターライスや炒飯(チャーハン)・カレー等に副食として混ぜて食べるもの)、輸入されたタイ米が品質的に低いものであった事から、日本人に

タイ米は不味(まず)いもの

と言う誤ったイメージを植え付けてしまいました。然し、一口に「タイ米」と言っても、中には「香り米(まい)」或(ある)いは「ジャスミンライス」の愛称で知られる「カオ-ホン-マリ」(Khao Hom Mali)の様に、実に「美味しいタイ米」もあります。又、一般に生産地の名を採って「カリフォルニア米」と呼ばれているコメの内、「ゴールド」(ササニシキ)や「玉錦」・「かがやき」と言ったコメも日本人の口に合い、コメの完全自由化が実施されれば、日本市場に於いて品質の良さと価格面から国産米を席捲(せっけん)、稲作農家に取り返しの付かない深刻なダメージを与えるであろう事は必至です。(生産しても採算が合わなければ、農家はコメの生産を放棄する事だろう) そうなれば、コメを主食としてきた

お米の国、日本

は完全に崩壊する事でしょう。それでも、「主食は何もコメだけでは無い」として、パン(原料は小麦粉やライ麦粉)・饂飩(うどん;原料は小麦粉)・蕎麦(そば;原料は蕎麦粉)を食べれば良いでは無いか、と言う方も居(お)られる事でしょう。然し、小麦粉の原料である小麦一つ取っても、平成22(2010)年の日本国内に於ける生産量は56万8千t。それに対し、同じ平成22年の輸入量は472万6千tと国内生産量の8倍強もあるのです。此は裏を返せば、コメの代わりにパンや饂飩を食べるにしても、既に海外からの輸入にどっぷり浸かってしまっており、昨年9月のレアアース騒動よろしく生産国から対日輸出を制限或(ある)いは停止されたりしたら、日本が深刻な食糧危機に陥る ── 詰まりは日本国、ひいては日本人の生殺与奪(しょうさつよだつ)の権限を輸出国に握られる事を意味しており、その影響は二度のオイルショックや、先の大戦の切っ掛けとなった対日禁輸に於ける「石油」の比ではありません。何しろ、人種の別無く人間が生きていくのに不可欠な食糧を人質(物じち)に取られる訳ですから、何をか言わんでしょう。これを回避する為にも、増加の一途を辿(たど)る世界人口とそれを最早(もはや)(まかな)いきれなくなっている食糧不足傾向の中、食糧は国家・民族が存続していく上で極めて重要な「戦略物資」であり、如何(いか)にして自国の食糧自給率を維持し、自国民が飢餓に陥る様な事にならない様腐心するのが「食糧安全保障」である訳です。(日本で飢餓が?と訝(いぶか)しむ向きもあるが、幾ら日本がカネを持っていたとしても、相手が食糧を売ってくれなければそれ迄の話である。実際、ロシアは干魃による不作を理由に今年8月15日から来年7月(現時点の決定)迄、自国産小麦の輸出を停止。それが影響で小麦の国際価格が高止まり傾向にある) 以上、此処迄(ここまで)、「食糧」としてのコメに付いて論じてきましたが、此処から先はコメを別の視点から眺めてみたいと思います。

新穀を収穫される天皇陛下
宮中御神田に於いて御稲穂を収穫なされる天皇陛下
1月1日の「四方拝」に始まり、12月31日の「大祓(おおはらい)の儀」で締め括られる宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)の中でも、10月17日の「神嘗祭(かんなめさい)」と11月23日(勤労感謝の日)の「新嘗祭(にいなめさい)」はコメと深い関わりを持つ祭儀である。それに先立ち9月上旬の「抜穂祭(ぬいぼさい)」に於いて、天皇陛下御自ら神嘗祭の際に奉られる御稲穂(おんいなほ;新穀)を、宮中御神田(ごしんでん)にて収穫なされる。
黄金色に輝く稲穂
黄金色に輝く稲穂
13世紀、フビライ=カアンの坐すの都カンバリク(大都;現北京)を訪れたヴェネチア商人、マルコ=ポーロの口述録『東方見聞録』により、欧州に広まった「黄金の国ジパング」伝説。平安末期、奥羽の覇者として源平と共に日本を三分した奥州藤原氏の黄金文化が色濃く投影されたこの黄金伝説は正真正銘の「ゴールド」に由来するのだろうが(日本は嘗て世界有数の金産出国であった)、別の視点で見れば、秋の収穫期、撓(たわ)わに実った稲穂の「黄金色(こがねいろ)」も又、「黄金の国ジパング」の源泉だったのでは無いだろうか。
『日本書紀(やまとのふみ)』に日本の古い国名、美名として「豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらのちいほあきのみずほのくに)」と言うものが出て来ます。(『古事記(ふることふみ)』では「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国」) その意味は「葦が生い茂り、永遠に瑞々しい稲穂が豊かに実る国」であり、縄文・弥生以来の稲作文化に根ざした国名と言えるでしょう。又、秋と言うと、各地の神社で古い伝統に則って秋祭りが盛大に執り行われますが、これ等の多くは農耕に由来し、秋の収穫 ── とりわけ稲穂の刈り取りを無事終えた事を神様に感謝する意味での収穫感謝祭である訳です。これは神道の最高位神官でもある天皇陛下を頂点とする皇室も例外ではありません。例えば、1月1日早朝に始まる「四方拝」から、12月31日の「大祓(おおはらい)の儀」に至る迄、様々な宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)と総称される宗教的儀礼が宮中では執り行われていますが、その中でも、9月上旬、宮中に設けられている御神田(ごしんでん)で栽培された御稲穂(おんいなほ;新穀)を天皇陛下御自ら刈り取られる「抜穂祭(ぬいぼさい)」、刈り取られた御稲穂を皇祖(皇室の祖先神)天照大神(あまてらすおおみかみ)に奉納する10月17日の「神嘗祭(かんなめさい)」、更に天皇陛下が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ;天津神と国津神の総称)に奉献し、自らも此を食して、神々と共に其の年の収穫に感謝する11月23日(勤労感謝の日)の「新嘗祭(にいなめさい)」 ── 因(ちな)みに新帝が即位の礼後、初めて行う新嘗祭はとりわけ「大嘗祭(だいじょうさい,おおにえのまつり)」と呼ばれ、天皇一世一代の大祭である ── と言った具合に、稲作文化に根ざした重要な祭儀が現在に至る迄連綿と執り行われています。

金沢城石川門(重要文化財)
金沢城石川門(重要文化財)
石川県金沢市は、嘗(かつ)て「加賀百万石の城下町」と称され加賀藩主前田家のお膝元として大いに繁栄したが、その「百万石」の「石(こく)」とは、近世日本に於いて、現在の「地価」に相当する評価額や域内経済力を「カネ」では無く、その土地でどれ程のコメが生産出来るかを生産量の単位「石」に換算して表したものである。既に貨幣経済が発達していた近世日本に於いても、コメが単なる食糧としての価値に留まらなかった事の証左でもある。
、戦国から安土桃山、更には江戸時代に至る近世の日本に於いては、既に都市部を中心に貨幣経済が発達していましたが、それにも関わらず、武士の俸禄(サラリー)として、又、諸大名領国の経済力の指標として、「カネ」(貨幣)に勝る共劣らない重要な役割を果たしたもの、それが「コメ」でした。よく、石川県の県庁所在地である金沢市は「加賀百万石の城下町」等と称されますが、此処で言う「百万石」とは、成人一人が一年間に食する米の量=「一石」の百万倍 ── 詰まり百万人が一年間に食する米の量を指しており、その単位として使われている「石(こく)」とは、土地の価値を面積に石盛と呼ばれる一定の係数を掛け合わせ、米の生産力に換算したもので、米以外の農作物・海産物に付いても、米の生産量に換算した石高(こくだか)と言う指標を以て表されました。この様な、カネよりもコメに重きを置いた「石高制」と言うシステムは、世界広しと雖(いえど)も日本位のものでしょう。それは裏を返せば、コメが日本人の食糧として、準貨幣として、経済力・生産力の指標として、そして、文化的・宗教的要素として、日本人にとって切っても切れない深い関係にある事を意味しているのです。そして、コメが、皇室あっての日本と言う観点から説かれる「国体」に、勝る共劣らない「もう一つの国体」であると私は考えるのです。

米国の銃器販売店の店内
米国のガンショップの店内
日本では『銃刀法』により民間人の銃器保有に厳しい制限が設けられているが、米国では本物が街中のガンショップで極々普通に販売され、誰でも購入する事が出来る。近年益々増加の一途を辿る銃器犯罪により規制を叫ぶ声もあるが、憲法に謳(うた)われている「武器保有の権利」が壁となり「刀狩り」を実現する事は容易では無い。これも米国の「国体」の一つであると言える。
「国体」 ── 別の言い方をすれば「国柄」 ── は何も日本の専売特許でも何でもありません。例えば、米国にも米国の「国体」が存在します。例えば、民間人による銃器保有の権利。毎年米国では1万人以上もの人々が銃器犯罪により命を落としており、近年では加害者の年齢も低下し、学生が学校内で銃器を乱射し大量且つ無差別に死傷者を出す事件も多発しています。この様な深刻な状況の中、米国内に於いても被害者とその家族を中心として銃規制を求める動きもありますが、一向に進む気配がありません。では、それは何故なのか? その要因の一つは「全米ライフル協会」(National Rifle Association;略称「NRA」)の存在にあります。1871(明治3)年に設立され、「人を殺すのは人であって銃では無い」をスローガンとする此の団体の会員数は公称約400万人。その数から全米最大のロビー活動団体(圧力団体)として活動し、巨大な「票田」であるNRAの票欲しさに彼等の「銃規制反対」の主張に同調する議員も多々居ます。然し、それ以上に銃規制の障碍(しょうがい)となっているものがあります。それは、『アメリカ合衆国憲法』(Constitution of the United States)の修正第2条の存在です。憲法の修正条項第1条から第10条迄は『権利章典』(Bill of Rights)と称され、憲法の中でも人権保障規定を指すのですが、この内の修正第2条には以下の如く謳(うた)われています。

  『アメリカ合衆国憲法』
   修正第2条 (人民の武装権)
 規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、又、携帯する権利は、これを侵してはならない。

日本では天正16(1588)年に豊臣秀吉が発した『刀狩令(かたながりれい)』により、百姓(ひゃくしょう)から刀剣・弓・鉄砲等の武器が接収、武装解除され、更に戦後の昭和33(1958)年4月1日に施行された『銃砲刀剣類所持等取締法』 ── 通称『銃刀法』 ── により、一部の例外(狩猟目的での猟銃保持等)を除き民間人による銃器保持は禁止されました。然し、米国では憲法の修正第2条を盾に民間人の銃所有が認められ、ガンショップ(銃器販売店)は元より一般のホームセンターで銃弾が売られている所すらあるのが実情です。繰り返しますが、毎年1万人以上の銃器犯罪犠牲者が出ているにも関わらずです。英国との間で独立戦争を戦い、「西部開拓」と称してアメリカ先住民(ネイティブ-アメリカン)を銃器で制圧、開拓地=国土を広げてきた米国、ひいては米国市民にとって、民間人の銃器保持は手放す事の考えられない当然の権利であり、米国にっとの「国体」であると言えるのです。

第44代米国大統領に就任するバラク=オバマ氏の宣誓
第44代米国大統領に就任するバラク=オバマ氏の宣誓
2009(平成21)年1月20日、オバマ大統領の就任式宣誓に於いて、第16代のエイブラハム=リンカーン大統領が用いた『聖書』に手を置いて就任宣誓を行った。米国では新大統領が就任式に於いて、聖書に片手を置き乍ら宣誓する事が慣例となっているが、法律で規定されている訳では無い。だからと言って、イスラム教の『クルアーン(コーラン)』や仏教の経典に手を置いて宣誓しようものなら、猛反発を受ける事だろう。何故なら、これが「キリスト教原理主義」国家米国の「国体」なのだから。
2009(平成21)年1月20日、米国史上初の黒人出身大統領としてバラク=オバマ氏が就任式を執り行いました。そして、就任の宣誓の際、彼の左手は第16代大統領エイブラハム=リンカーンが用いていた『聖書(バイブル)』の上に手が置かれていました。この時、「リンカーンの聖書」が用いられた事が話題になりましたが、私が指摘したいのはその事ではありません。米国大統領就任式に於いて、新大統領が『聖書』の上に左手を置き乍(なが)ら宣誓したのは何もオバマ大統領が初めてと言う訳ではありません。歴代の大統領が皆行(おこな)ってきた事ですが、「就任宣誓の際には『聖書』の上に左手を置きつつ行う事」等と規定した法律がある訳でもありません。これは一種の慣例なのです。ですから、例えば新大統領がムスリム(イスラム教徒)なら『クルアーン』(コーラン)、仏教徒だったなら仏教の経典の上に手を置いて宣誓しても良いのか?と言う事になります。実際、2006(平成18)年1月には下院議員に当選したムスリムのキース=エリソン氏がジェファーソン蔵書の『クルアーン』を用いて就任宣誓を行っており、法律上は何ら問題の無い事なのですが、この時、保守派から猛烈な反発を受けました。そして、彼に最初にクレームを付けたユダヤ系のデニス=プレーガー氏はこう述べています。曰く、

「キース=エリソンでは無く米国が、連邦議員が就任宣誓をする時にどの本を使うかを決めるのだ。コーランを使う事は米国文明を損なう行為だ。」
「連邦議員が米国に奉仕して米国の価値を守る宣誓を行う事に関する限り、米国はたった一つの本にしか興味が無い、それは『聖書』(バイブル)だ。もし聖書で宣誓が出来ないと言うのなら議員になってはいけないのだ。」

と。下院議員の就任宣誓ですら、この様なクレームが付くのですから、これが大統領の就任宣誓だったなら・・・最早(もはや)言わずもがなでしょう。そう、幾ら米国が憲法の修正第1条に於いて信教の自由を謳っているとしても、実際には「キリスト教原理主義」国家の観を呈する米国のキリスト教社会に於いて、就任宣誓の際、『聖書』を用いる事は暗黙の了解事項であり、それ以外の教典を用いる事等以(もっ)ての外(ほか)である訳です。詰まり、民間人による銃器保持同様、米国にとって新大統領が『聖書』の上に手を置いて宣誓する事は「当然の事」であり、米国にとっての「国体」である訳です。

上論じてきた様に、国には夫々(それぞれ)の「国体」があります。その国体を無視して、一緒くたに全ての障壁を撤廃し、完全自由化する事等到底出来ません。出来るとすれば、互いの国体を尊重した上で、互いが納得出来る最大公約数を導き出していく事だけです。(詰まりは例外品目を認めた上での部分的自由化) そして、日本にとっての国体は皇室を戴く体制と、単なる食糧に留まらない文化的・宗教的要素としてのコメである訳です。その様に考える時、例外無き関税の撤廃と完全自由化による日本の稲作文化の壊滅を惹起する様なTPPへの参加に断固反対を表明せざるを得ません。

「コメ」は絶対聖域!! 断固として守り抜く!!

この気概と表明無くして、他国と経済分野での交渉を行う事等、絶対にあってはなりません。「豊葦原千五百秋瑞穂国」である日本から、「瑞穂」の灯を消してしまって本当に良いのか? 私は此処で改めて皆さんに、「日本の国体の一つ」であるコメ=稲作文化の壊滅に繋がるTPP参加問題に付いて真剣に考え、そして、「NO!!」の意思表示を是非共して頂きたい。そう思うのです。(了)


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