Reconsideration of the History
59.日本は「支那事変の敗戦国」では無い!! 終戦秘話-其の壱-(1999.8.7)

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和20(1945)年8月15日。この日、日本軍は天皇の「鶴の一声」で無条件降伏を受諾、整然と矛を収めました。大東亜戦争終結。この日、日本の「敗戦」が決定したのです。しかし、この「敗戦」は、アメリカに対しての「敗戦」だったのです。戦後、支那は「戦勝国」として日本に臨み、「過去の戦争責任」云々等と咆哮(ほうこう)しますが、はっきり言いましょう。日本は、こと支那に対しては決して「敗戦国」等では無い!!と。と言う訳で、今回は、日本が「支那事変」(日中戦争)の敗戦国では無かった事について書いてみたいと思います。

ず、終戦直後、日本の支那派遣軍将校が一体、どの様な気持ちで、「敗戦」を迎えたかを知る必要があります。当時、彼ら支那派遣軍将校達の間では、

なぜ、我々は勝っているのに、降伏しなくてはならないのか?

と言う疑問が次々と噴出したそうです。そして、この一語にこそ、今回のテーマの「答え」が隠されていたのです。

那事変の発端となった昭和12(1937)年7月7日の蘆溝江事件から、昭和13(1938)年10月27日の武漢三鎮制圧に至る僅か1年3ヶ月の間に、日本軍(支那派遣軍)は、河北・河南・熱河(ねっか,チャハル)・綏遠(すいえん,オルドス)・山東・山西・江蘇・江西・安徽(あんき)・浙江(せっこう)・湖北・広東各省と言う広大な地域を占領し、蒋介石率いる国民党政権は、南京から武漢、重慶と、拠点を内陸へ内陸へと遷さざるを得ませんでした。又、国民党軍の戦術も、従来の正規戦からゲリラ戦へと転換されました。これは裏を返せば、最早、日本軍とまともな戦闘(正規戦)が事実上、不可能となっていた事を意味しました。更に、軍事評論家・伊藤正徳氏は、その著書『帝国陸軍の最後5』の中で、

「日本陸軍(支那派遣軍)は8年間の中国(支那)遠征中、55回戦い、51勝1敗3引き分けと言う無類の勝率をあげた」

と指摘しています。この数字を見れば分かりますが、支那派遣軍将校達の言う通り、日本軍は「勝ちに勝っていた」訳で、なぜ、我々が降伏する必要があるのか?と思っても当然だった訳です。(ちなみに、上海事変後の戦力比は、日本軍の1個師団が支那軍の8〜10個師団に相当したと言い、国民党軍は、司令官の65〜70%、兵士50万人が投降したと言う) しかし、これだけを見ただけでは、日本に都合が良い様に解釈しているのでは?との意見も出てくるでしょう。そこで、今度は目を台湾に移してみたいと思います。

湾。終戦時、台湾総督府治下、日本領だった台湾においても、日本は台湾の領有権を放棄し、台湾軍(日本軍)の武装解除(降伏)がなされました。当時の台湾は日本本土とは違い、主たる空爆もなく、台湾総督府治下に築かれたインフラが温存されていました。その様な状況でしたから、「日本の敗戦」を耳にした時、誰もが「まさか」と思った筈です。何せ、主たる戦争被害を被っていた訳では無かったので、「本土が焦土と化した」等と言われても、実感が湧かなかったのです。その様な中、彼ら台湾住民が、「日本の敗戦」を再認識する日がやって来ました。

(いぬ)去りて、豚来る!! 日本(軍)がいなくなった台湾に、国民党軍(支那)が進駐してきたのです。この時、台湾住民達は、日本が「敗戦」した相手を初めて「知った」のです。進駐してきた国民党軍は、服がボロボロで装備していた兵器類も旧式な物ばかり。理路整然としていて、軍規に厳しかった日本軍とは対照的に、統制が取れておらず、略奪を欲しいままにした国民党軍。(国民党軍兵士が備品目録に日本語で「金槌」と書かれているのを見て、「黄金で出来たハンマー」と勘違いし、その所在を血眼になって探したと言う逸話が残っている>笑) 台湾住民の多くがこの時、「日本軍は米軍に負けたのであって、決して、国民党軍に負けたのではない」と思ったそうです。その後、国民党軍は日本時代に営々と築かれたインフラや経済を食い尽くし、台湾の屋台骨を傾かせてしまったのです。その意味で、台湾住民は、かつての支配者・日本を「吠(ほ)えてうるさいが、役に立つ」と言う意味で「狗」と呼んで懐かしがり、新たな支配者・支那(国民党政権)を「餌をガツガツと食べ尽くして、何の役にも立たない」と言う意味で「豚」と呼んで侮蔑したのです。

っと見てきましたが、如何だったでしょうか? 大陸で連戦連敗し志気も練度も低く統制が取れていなかった旧式軍隊・支那軍と、連戦連勝向かう所敵なしだった近代軍隊・日本軍。ポツダム宣言受諾で「敗戦国」となった日本ですが、こと支那に対しては決して「敗戦国」では無かったのです。そして、その事を如実に表しているものが、国民党主席・蒋介石をして言わしめた

辛勝 であり 惨勝

(「辛くも勝った」、「惨(みじ)めな勝ち方をした」)だったのです。

   余談(つれづれ)

本を訪問した中華人民共和国国家主席・江沢民。彼は日本に対して「正しい歴史認識」や「過去の日本の戦争責任」等と口にしますが、そんな彼が「紅い皇帝」として支那に君臨していられるのも、日本がアメリカに「負けた」からこそ。そう言う意味で、自らの手で勝利する事が出来ずに、他人(アメリカ)の褌(ふんどし)で相撲を取った(日本に「勝った」)支那には、正に「笑止」(「ふざけるな!!」共言う)と言う言葉が相応(ふさわ)しいのではないでしょうか?(了)

参考文献


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