Reconsideration of the History
115.「瀋陽事件」で苦しんだ北京 ── 巨大帝国「中国」のお家事情 (2003.2.21)

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武警は日本総領事館の敷地に完全に侵入している 成14(2002)年5月8日、あるビデオ映像が世界に配信されました。その映像には、支那遼寧省の省都・瀋陽に在る日本総領事館の正門から、「亡命」を求めて敷地内へ強行進入した北朝鮮人家族と、それを阻止すべく門前で警備していた支那武装警察官(以下、単に「武警」と略)が揉み合う光景が映されていました。映像はその後、武警が日本総領事館の敷地内に足を踏み入れ、敷地内に進入していた北朝鮮人家族を強引に門外へ引きずり出し、連行して行く場面へと続き、この一連の出来事は、後に「瀋陽事件」と呼ばれ、日支間の外交問題に迄発展した一大事件となったのです。この事件の結果、日本は外務省による対応の不手際を巡って、本省・大使館・総領事館職員の多くが処分されると同時に、国内世論も日本外交のお粗末さを批判する声が噴出し、日本は「瀋陽事件」によって多大なダメージを受けた事になっています。事実確かにそうなのですが、しかし、いざ蓋を開けてみれば、ダメージは日本よりも、むしろ支那の方が大きかったと言えるのです。と言う訳で、今回は、記憶にも新しい「瀋陽事件」について書いてみたいと思います。

ずは「瀋陽事件」が何故、日支間の重大な外交問題に迄発展したのかについて、簡単に触れてみます。この事件で問題となったのは、一つには、武警が日本総領事館の敷地に足を踏み入れた事にあります。領事館の不可侵権については、『領事関係に関するウィーン条約』によって、接受国(今回の場合、支那)の公権力が及ばないと規定されています。

   領事関係に関するウィーン条約

第31条(領事機関の公館の不可侵)

  1. 領事機関の公館は、この条に定める限度において不可侵とする。
  2. 接受国の当局は、領事機関の長若しくはその指名した者又は派遣国の外交使節団の長の同意がある場合を除くほか、領事機関の公館で専ら領事機関の活動のために使用される部分に立ち入つてはならない。ただし、火災その他迅速な保護措置を必要とする災害の場合には、領事機関の長の同意があつたものとみなす。
  3. 接受国は、2の規定に従うことを条件として、領事機関の公館を侵入又は損壊から保護するため及び領事機関の安寧の妨害又は領事機関の威厳の侵害を防止するためすべての適当な措置をとる特別の責務を有する。
  4. 領事機関の公館及びその用具類並びに領事機関の財産及び輸送手段は、国防又は公益事業の目的のためのいかなる形式の徴発からも免除される。この目的のために収用を必要とする場合には、領事任務の遂行の妨げとならないようあらゆる可能な措置がとられるものとし、また、派遣国に対し、迅速、十分かつ有効な補償が行われる。
例えば、日本国内に設置されている米・英・露と言った諸国の外国公館に対して、日本の官憲は手が出せません。又、それら外国公館の敷地も、自国であって自国では無い ── つまり一種の「外国領土」あるいは「租界」であり、派遣国の許可無く進入する事は認められていません。つまり、「瀋陽事件」で武警が許可無く日本総領事館の敷地に足を踏み入れた行為は、『領事関係に関するウィーン条約』に抵触する重大な国際法違反であり、日本は国家主権を支那によって侵害されたと言う事になる訳です。

武警によって連行されて行った北朝鮮人家族は、最終的にフィリピン経由で韓国への「亡命」(支那側の建前では「強制国外退去」)を果たしましたが、連行から韓国到着に至る迄、遂に日本側は北朝鮮人家族との接見や、何故、総領事館へ進入したのかについての事情聴取を行えませんでした。日本総領事館へ進入してきた人間に対する事情聴取の権限は、当然、日本側にあった訳で、その行使を妨害された事で、日本は二重に国家主権を侵害された訳です。これに対し、日本は支那へ抗議すると共に、謝罪と再発防止を要求した訳ですが、この日本の要求に対して、支那は条約違反について謝罪するどころか、逆に、

「日本側は冷静になり、中国側の措置を善意的にとらえるべきで、事態を深刻にすべきでない」

と開き直る始末。(もっとも、主張の隅々に、ある種の焦りと苛立ちが見て取れる) 結局、支那は最後迄、自国の主張を譲らず、この事件はうやむやなまま、政治決着が図られました。この様に見ていくと「瀋陽事件」では、終始一貫して自国の主張を曲げなかった支那に、日本外交が屈服させられた感が否めません。事実、事件後、日本側が外務省関係者の処分に踏み切ったのに対して、支那側が武警に対する処分を行った形跡が見られない事からも、それは当を得た見方であると思います。しかし、視点を変えてみると、日本よりも支那 ── 北京政府(以下、「北京」と略)の方が「瀋陽事件」により大きな衝撃を受け、動揺し、そして苦悩したであろう事が推察出来るのです。

故、北京は「瀋陽事件」によって大きな衝撃を受け、動揺し、そして苦悩したのか? それは、一言で言えば、事件の舞台が「瀋陽」だったからなのです。瀋陽は遼寧省の省都で人口500万人超、嘗て「奉天」と呼ばれた「満州国」時代から満鉄(南満州鉄道)・満業(満州重工業)によって開発され、今尚、南満州に於ける鉄道交通の要衝であり、周辺都市も含めて支那最大の重工業地帯を形成しています。又、中国科学院東北分院を始めとする学術研究機関も多数あり、加えて、支那七大軍管区の内、遼寧・吉林・黒竜江の東三省を管轄する「瀋陽軍管区」のお膝元でもあります。その様な満州の要衝で、しかも、瀋陽軍管区に所属する武警によって事件は起きました。この事が、北京に苦しい対応を迫る結果となったのです。

故、「瀋陽事件」で北京が苦しむ事となったのか? 何故、北京は事件に関わった武警を処分出来無かったのか? それには、「中国」のお家事情が深く関わっていたのです。巨大帝国「中国」には、前述の様に、瀋陽・北京・済南・南京・広州・成都・蘭州の七軍管区が存在します。しかも、各軍管区は、それ一つで区内の陸海空軍を統括し、場所によっては核ミサイルさえ保有しています。又、支那には、北京語・上海語・福建語・広東語と言った互いに相通じない「方言」(日本の「方言」どころか英独仏の各国語に匹敵する程の差異がある)があり、北京と広州では全く意思疎通が出来無い程です。更に言えば、各軍管区共に、党・政府の方針で、自給自足・独立採算制を強いられており、その事が各軍管区の独立性を助長している面もあります。ところで、巨大帝国・強権政府・巨大軍管区、と言った面で見た時、実は、現在の支那に非常に良く似た時代が嘗てありました。それは、唐の時代です。唐は支那史上を代表する巨大帝国で、皇帝を頂点とする強権的な朝廷が人民に君臨し、しかも、現在の軍管区を彷彿とさせる「藩鎮」(節度使)もありました。そして、唐は、強大化した「藩鎮」の相次ぐ独立によって、滅亡したのです。

て、話を戻しますが、事件が起きたのは瀋陽であり、武警は瀋陽軍管区に所属していると書きました。そして、元来、北京と瀋陽との間には、常に対立・軋轢があり、瀋陽(と言うよりも、満州)は北京に対して一種独特の怨念を抱いているのです。その理由はこうです。「満州国」時代を通じ、日本の巨大資本によって開発された満州は、戦後、「中国」によって支配される事となった訳ですが、北京の共産党政府は、「中国」一開発された先進地である満州の各種企業を国有化し、大慶油田等は純収益の90%が政府に上納され、売上高の60%も税金として北京に巻き上げられており、いくら収益を上げても、北京に吸い取られると言うシステムが確立しているのです。しかも、東三省は嘗て「満州国」だった地域である為、現在も比較的、日本文化に対する憧憬が強く、親日家も多いと言われています。しかし、それが逆に災いし、現在の満州は北京からある種の差別を強いられており、その事が、満州に於ける反北京感情と言うものを醸成しているのです。又、満州を管轄する瀋陽軍管区も、実力(核兵器さえ保有している)を持っていながら北京に隷属させられている事を内心快く思ってはいません。何か事あらば、中央の統制を離脱して独立も辞さず、と言うスタンスである訳です。その様な現状で、北京が「瀋陽事件」に関わった武警 ── 瀋陽軍管区に所属する武警を、軍管区指導部を差し置いて処分し、日本に対して謝罪や再発防止を表明したりしたら・・・それこそ、軍管区指導部の面目は丸潰れです。しかも、元来、反北京感情の強い満州の事、瀋陽軍管区が態度を硬化させ、北京に対して一体どの様な対抗措置に出るか分かったものではありません。

少数民族と軍の離反によって、「中国」は分裂する!!
予想される分裂後の「中国」

「瀋陽事件」で何故、支那は最後迄自国の主張を通したのか? その理由は、唯一つ。自らが隷属下に置いている満州の軍・人民感情を逆撫でし、北京の統制に反旗を翻す事を恐れたからに他なりません。いや、反旗どころか、場合によっては、独立し「満州国」を再興する可能性も無きにしも非ずです。何故なら、満州には石油・鉄鉱石を始めとする天然資源が産出し、それらを加工する重工業地帯があります。核兵器さえ保有し自給自足・独立採算制を取る軍隊 ── 嘗ての「軍閥」にも通ずる瀋陽軍管区もあります。もしも、満州が本気で独立したら・・・前述の大慶油田の例を引く迄も無く、北京に搾取されていた莫大なマネーを自らの為に使える訳で、通化基地に配備されている核ミサイルの照準を日本から外し、日本との関係を強化すれば、嘗ての「満州国」時代同様、多くの日本資本が「新天地」満州に大挙して押し寄せる事は目に見えています。加えて、満州は今尚、支那随一の重工業地帯です。この地を失う事は、北京にとって正に「命取り」になる程のダメージを与えます。そう考えると「瀋陽事件」で、たかだか外務省関係者が処分され、外務省の綱紀粛正・機構改革が叫ばれた程度の日本は、大局的な観点に立てば、大したダメージを蒙ってはいません。むしろ、国際法違反・人権問題等で国際社会から突き上げられた挙げ句、対応如何では、満州独立(瀋陽軍管区の反旗)=国家分裂の危惧さえあった支那の方が、より大きなダメージを蒙った共言えるのです。


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