Reconsideration of the History |
229.「中国」よ、これでも尖閣諸島が「神聖にして不可分な固有領土」と嘯くか!! (2010.10.13) |
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平成22(2010)年9月7日午前、日本領海に侵入し違法操業していた処を海上保安庁の巡視船に発見され、停船命令を受けたものの逃走を図り、「よなくに」・「みずき」二隻の巡視船に故意に衝突した挙げ句、拿捕(だほ)された「中国」福建省の漁船「閩晋漁5179」(排水量 166t) |
第11管区石垣海上保安部所属のはてるま型巡視船「よなくに」(排水量 1,349t)。尖閣諸島周辺の日本領海警備強化を目的に、平成21(2009)年2月20日に配備された最新鋭の拠点機能強化型ヘリコプター搭載巡視船だ。 |
第11管区石垣海上保安部所属のびざん型巡視船「みずき」(排水量 197t)の右舷後部にくっきりと見て取れる損傷痕。「よなくに」はおろか「みずき」にさえも衝突した漁船の行為は、故意であり極めて悪質との誹(そし)りを免れ得ないものだった。 |
9月22日、国連(連合国)総会出席の為到着したニューヨークで一席ぶった「中国」国務院総理(首相)温家宝(ウェン=ジアパオ)。彼は自国民が領海侵犯・違法操業・停船命令無視及び逃走・海保巡視船への自船衝突による公務執行妨害と全く弁明の余地の無い事案だったにも関わらず、日本に対し「聞く耳持たぬか!! 早く船長を返せ!!」と吠(ほ)え、日本が船長(詹其雄容疑者)を釈放帰国させた後も、あろう事か謝罪と賠償を要求すると言う厚顔無恥な主張を繰り返した。正に共産ゲリラ上がりの独裁政権の首脳である。 |
9月25日、福州空港に到着後、「中国」政府チャーター機からVサインの両手を高く掲げて現れた詹其雄容疑者。日本での犯罪者は一転、祖国では「英雄」として迎えられたが、帰国早々、性懲(しょうこ)りも無く「再び尖閣近海に出漁する」と曰(のたまわ)った。まあ、違法操業の常習者で、地元でも余り評判の良くない人物との噂のある処を見ると、さもありなんと言う可(べ)きか。 |
これらが日本のお家芸であるハイテク製品の製造に不可欠なレアアース。トヨタのハイブリッド車「プリウス」の製造にも使われるレアアースを、日本は「中国」からの輸入に頼っている。そのレアアースの禁輸措置を以て、今回、「中国」は日本を屈服せしめた。 |
それにしても諄(くど)い様ですが、今回の事件に対する日本政府の対応は余りにもお粗末でした。例えば、日本が事件発生後早い段階で巡視船が撮影した漁船と巡視船の追跡劇と衝突シーンを収めたビデオ映像を一部始終余す事無く公開、世界に対してオープンにしておいたなら、「中国」もこれ程迄に執拗且つ強硬な姿勢を取る事は出来ませんでした。何しろ「百聞は一見に如(し)かず」と言う諺(ことわざ)もある程です。幾ら「中国」が自分達に都合の良い主張を繰り出した処で、「不都合な真実」が写っている証拠映像には到底勝てはしません。ましてや、現代はインターネット全盛の時代です。テレビで放映するだけで無く、「You Tube」や「ニコニコ動画」等のネット動画投稿サイトにリークしても良かったのです。そうすれば、公開されたビデオ映像は次から次へとコピー、ウェブサイトやブログに転載され世界中に拡散増殖します。幾(いく)ら、自国内でネットを規制し、情報を管理統制している情報鎖国「中国」とて、全世界 ── 他国に拡散する情報迄遮断・削除する事は到底出来ません。指を咥(くわ)え、成り行きを見守る事しか出来ないもどかしさと「真実」を晒(さら)される恐怖は如何(いか)ばかりでしょうか? 現在は情報戦の時代でもあります。政府とて「IT」(本来は「Information Tecnology」(情報技術)を指すが、この場合は「Intelligence Technology」を指す)をフル活用しない手は無かったのです。
又、「中国」は遂に認めませんでしたが、事実上のレアアース対日禁輸措置(「中国」は共産党一党独裁国家である。その「中国」に於いて「お上(かみ)」の指導指示なくして、企業が勝手に対日禁輸をする筈が無い)に対しては、明らかにWTO(世界貿易機関)の協定違反なのですから、日本は輸入が停滞した段階で「提訴の方向で検討に入った」とでもメディアを通じてリーク(宣伝)するだけでも効果はありました。何せ、今回の結末に対して、日頃、日本の失敗に歓喜する韓国でさえ、メディアが危惧を表明した程です。詰まり、世界シェアの93%を押さえている「中国」が今回、レアアースと言う「人質」(「物質(ものじち)」と言う可(べ)きか)を使って日本を屈服させたと言う事は、同じくハイテク立国である韓国にとっても、決して他人事(ひとごと)では無かったのです。そして、これは何も日本や韓国に限った事ではありません。全世界がこの危惧と不安を共有したであろう事は想像に難(かた)くありません。と言う事は、逆に言えば、レアアースの不当な対日禁輸措置を日本が国際社会に訴える事で、日本の主張を支持する「仲間」を増やす事は充分可能だった事になります。何故(なぜ)、その事に日本政府は気付かなかったのか? 正直、官邸に「智慧者」が一人もいなかったとしか思えないのです。そして、こう言う時こそ、相手のウィークポイント(弱点)を一点集中的に攻撃するのが、戦争にしろ、外交にしろ効果的なのですが、日本は、
反撃する事無く白旗を挙げてしまった
のです。正に「愚(おろ)か」の一語に尽きます。それでは、「中国」にとってのウィークポイントとは一体何なのか? それは台湾問題であり、チベット問題であり、ウイグル(東トルキスタン)問題です。
尖閣諸島が日本固有の領土である事は、歴史的にも国際法的にも疑う余地の無い明確な事実です。何しろ、現在、領有権を主張している「中国」・台湾が嘗(かつ)て発行していた自国の地図に於いてでさえ、台湾と尖閣諸島・与那国島との間に国境線を引き、彼等(かれら)呼ぶ所の「釣魚台列嶼(ちょうぎょだいれっしょ)」や「釣魚島(ちょうぎょとう)」では無く、日本側呼称の「尖閣群島」或(ある)いは「尖閣列島」と記載していたのですから。
中華民國54年「初版」『世界地圖集』第1巻(1965年=昭和40年)掲載「琉球羣島圖」 地図の左下、「中華民國」の字の右側に日台両国の国境線が引かれている。そして、国境線の右側 ── 詰まり日本側に、彼等呼ぶ処の「釣魚台列嶼」や「釣魚島」では無く、日本側呼称である「尖閣羣島」(尖閣群島)の四文字がはっきりと見て取れる。これは当時の台湾政府が、尖閣諸島を日本領であると認めていた紛れも無い証拠である。因(ちな)みに、『世界地圖集』の編者は蒋介石総統の秘書で、教育部長(教育相)、中国国民党中央常務委員等の要職を歴任した国民党の重鎮・張其ホ氏である。 |
中華民國55年「初版」『世界地圖集』第1巻(1966年=昭和41年)掲載「琉球羣島圖」 『世界地圖集』第1巻の「初版」は「中華民國54年」(1965年)に発行されたのだが、何故か翌年発行された改訂版も「初版」とされ、初版発行年が「中華民國55年」(1966年)に改竄(かいざん)されている。又、新たな「初版」に於いては、発行年は元より、日台両国の国境線も引き直され、尖閣諸島は「釣魚台列嶼」の名称で台湾領に組み込まれている。 |
中華民國59年1月初版『國民中學地理 第四册』教科書(1970年=昭和45年 台湾)掲載「琉球羣島地形圖」 中学地理教科書に掲載されていたこの地図に於いても、矢張り地図左下の「中華民國」の字の右側に日台両国の国境線が引かれており、尖閣諸島は日本領として記載されている。 |
中華民國60年版『國民中學地理 第四册』教科書(1971年=昭和46年 台湾)掲載「琉球羣島地形圖」 前年とは打って変わって、こちらも中華民國55年「初版」『世界地圖集』第1巻同様に、国境線と尖閣諸島の呼称に対する改竄が行われている。 |
OST CHINA, KOREA UND JAPAN (1891 Deutschland) 因みに、こちらは明治24(1891)年にドイツで発行された極東の地図『OST CHINA, KOREA UND JAPAN』(東支那・朝鮮と日本)。この地図に於いても、尖閣諸島は日本領として記載されている。 |
それにも関わらず、「中国」は尖閣諸島に対する領有権を主張しています。ならば、日本も対抗措置として
日本政府は台湾の独立を支持する
とか
日本政府は中国のチベット領有を承認しない
(ウイグル然り)と一言表明すれば、それで良かったのです。それで、「中国」が軍事行動に打って出てきたら、その時はその時の事。世界有数と言われる日本の防衛力(軍事力)が、実際どの程度のものなのかを実戦で検証できますし、「平和呆(ぼ)け」した日本国民に喝(かつ)を入れる事も出来るでしょう。更には、同盟国である米国が『日米安保条約』に則(のっと)り、きちんと日本に対する防衛責任を果たすか否(いな)かも明確に見極められます。其処(そこ)で米国があやふやな態度を取る様なら、条約義務違反を盾に在日米軍基地の即時閉鎖と全面撤退を米国に要求。日本が独自の防衛力を整備し、イスラエル(事実上の核保有国)よろしく核武装を含むあらゆる軍事的オプションを取る事を宣言すれば良いのです。(但し、実際に核武装するかどうかは別問題。又、日本が独自で防衛するのに必要な費用は、米軍に対する「思いやり予算」等の対米負担金を全額充てる事で実現出来る) 要は「やるか、やらないか」の気概と明確且つ断固たる意思表明をするか否(いな)かであり、鳩山前総理が提唱した「友愛の海」構想は言うに及ばず、菅政権の対応も問題の根本的解決には何一つならなかったのです。
ところで、「中国」にとって尖閣諸島が日本領である事を証明する明確な証拠は、何も「地図」だけとは限りません。更に動かぬ物的証拠を日本側は握っているのです。それは「たった一枚の紙切れ」と言えばそうなのですが、その「紙切れ」が「中国」にぐうの音(ね)も言わさぬ絶大な効力を持っているのです。
時は大正8年(西暦1919年=中華民国8年)冬。中華民国福建省は恵安県(現福建省泉州市)の漁民、郭合順氏等31人が東支那海で遭難し、尖閣列島(尖閣諸島)の「和洋島」(魚釣島の事)に漂着すると言う事件がありました。その際、石垣村(石垣島)の豊川善佐(村長)・富田孫伴こと玉代勢孫伴(たまよせ-そんばん;石垣村衛生係雇、後に村助役)・古賀善次(尖閣諸島開拓者・古賀辰四郎氏の子息)の各氏、そして、与那国島出身女性通訳の松葉ロブナストさん等が救助すると共に献身的に看病。その甲斐あって皆元気になり、翌大正9年(西暦1920年=中華民国9年)、無事帰国出来たのですが、その際、中華民国駐長崎領事の馮冕(ひょう-めん)が四人に対して感謝状を贈りました。その内、現存する物が玉代勢氏に贈られた一枚なのです。(写真) そして、この感謝状には以下の如く記されています。
日本帝國沖繩縣八重山郡尖閣列島
と。そう、「華駐長崎領事」と「中華民国駐長崎領事印」の二つの公印が押印されたこの感謝状に於いて、中華民國駐長崎領事の馮冕は、「日本帝國八重山郡石垣村」と同様に、
尖閣諸島は日本の領土
であると記しているのです。然(しか)も、この感謝状が贈られたのは、前述の台湾国民中学地理教科書の初版が刊行された半世紀も前の事なのです。現在の「中国」=中華人民共和国は、これ程の動かぬ証拠があるにも関わらず、それでもまだ「尖閣諸島は中国の神聖にして不可分な固有領土」と嘯(うそぶ)くのか? 台湾の教科書の地図(大陸で刊行された古い地図に於いても尖閣諸島は日本領と明記されているが)にしろ、駐長崎領事が贈った感謝状にしろ、孰(いず)れも「中華民国」によって為されたもの。自分達「中華人民共和国」は与(あずか)り知らぬと居直るのか? 然し此処(ここ)で、これらを「中華民国」のものとして無視するのであれば、中華人民共和国は大いなる矛盾に陥る事になります。それは、国共内戦に勝利した中華人民共和国が中華民国から大陸の統治権を継承した ── それ故、「中国」は蒋介石国民党の中華民国が移転した台湾の領有権も主張している ── と言う建前上、中華人民共和故国は「中華民国の後継国家」と言う事となり、現在「中国」が「神聖にして不可分な固有領土」としている尖閣諸島に付いても、「日本帝國沖繩縣八重山郡尖閣列島」としていた中華民国時代の領土認識を継承せざるを得ないからです。そして、此処が尖閣諸島を巡る「中国」の領有権主張のウィークポイントである訳です。自国(厳密には「中華人民共和国」では無く、前身の「中華民国」だが)が嘗(かつ)て日本に贈った感謝状に「尖閣諸島は日本の領土」と記しておき乍(なが)ら、かたや今になって「尖閣諸島は中国の神聖にして不可分な固有領土」と主張する大いなる矛盾。正(まさ)に二枚舌も此処に極まれり!!と言った処でしょうか? この矛盾に付いて、先の感謝状のコピー(写真)を示し乍ら、国際社会に対し日本の領有の正当性を説明する。そうすれば、「中国」が如何に尖閣諸島に付いて、日中間の領土問題として宣伝しようが、何ら恐るるに足(た)りません。その意味に於いても、日本は政府・外務省共に、より積極的に国際社会に対する広報宣伝活動をして貰いたいものです。
最後に、今回の漁船衝突事件に「勝利」した「中国」に付いて、別の視点から論じてみたいと思います。日本は政府の無為無策によって「中国」に屈服しました。これは誰がどう見ても紛(まご)う事なき事実です。然し、「中国」は余りにも「勝ち過ぎ」ました。戦国時代、甲斐(かい)本国に加え、・信濃(しなの)・駿河(するが)二国に、西上野(こうずけ)と遠江(とおとうみ)・三河(みかわ)・美濃(みの)・飛驒(ひだ)・越中の一部迄をも領し、三方原(みかたがはら)の戦に敗れ這々(ほうほう)の体(てい)で逃げ帰る徳川家康をして、恐怖の余り馬上にて脱糞(だっぷん)せしめ、あの織田信長をして最も懼(おそ)れさせた大大名、武田信玄の遺訓にこの様なものがあります。
「凡(およ)そ軍勝五分(ごぶ)を以(もっ)て上(じょう)と為(な)し、七分(しちぶ)を以て中(ちゅう)と為し、十分(じゅうぶ)を以て下(げ)と為す。其(そ)の故(ゆえ)は五分は励(はげみ)を生じ、七分は怠(なまけ)を生じ、十分は驕(おごり)を生じるが故。たとへ戦(いくさ)に十分の勝ちを得る共、驕を生じれば次には必ず敗(やぶ)るるものなり。全て戦に限らず世の中の事この心掛け肝要也」
2010年のノーベル平和賞を受賞した劉暁波氏。然し、彼は中国共産党による一党独裁を批判した事から「国家政権転覆扇動罪」で懲役11年の判決を受け、現在、遼寧省錦州の獄に繋がれ、劉霞夫人も自宅軟禁措置を受けている。 |
「元祖」黄禍論者と言われるドイツ国(第二帝国)のカイザー(皇帝)ヴィルヘルム二世。在位中に起きた第一次世界大戦に参戦したが、大戦末期に起きた政変で退位亡命。敗戦国ドイツの帝政は終焉(しゅうえん)し、共和制へと移行した。 |
19世紀半ばから20世紀前半に掛けて欧米の白人国家に吹き荒れた黄色人種(主として支那人と日本人)に対する人種畏怖・差別思想を「黄禍論(こうかろん)」と言います。嘗てユーラシア大陸を席捲(せっけん)し、中世欧州を恐怖のどん底に陥れたモンゴル帝国の記憶を遺伝子に刻み込む彼等白人にとって、膨大な人口と著しい経済発展、更に急速且つ天井知らずの軍拡に邁進(まいしん)し、唯我独尊、傲慢な現在の「中国」は、彼等の目に、正にモンゴル帝国の再来として写っている事でしょう。前述の様に、漁船衝突事件に於いて「中国」は余りにも「勝ち過ぎ」ました。それは武田信玄の言に従えば「十分(じゅうぶ)の勝ち」であり、「中国」に対する国際社会の警戒と風当たりは益々強まるでしょうし、経済・軍事・人権・領土問題の多岐に亘って、今後、「中国」はツケを払っていく事となるでしょう。(了)
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