Reconsideration of the History
247.そなたを次期「中国国王」に冊封す! ── 「中国」は日本の「冊封国」である!! (2012.6.14)

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習近平「中国」国家副主席
習近平「中国」国家副主席
平成24(2012)年秋に開催予定の第18回中国共産党大会に於いて、胡錦濤(フー=チンタオ)に代わって国家主席に就任する事が確実視されている習近平(シー=ジンピン)は、「中国」の八大元老の一人、習仲勲(シー=チョンシュン)国務院副総理(副首相)を父に持つ太子党出身者。平成21(2009)年7月5日、新疆ウイグル自治区の区都・烏魯木斉(ウルムチ)市で起きた所謂(いわゆる)「2009年ウイグル騒乱」(烏魯木斉7.5騒乱)の際、最大3千人(世界ウイグル会議の主張)ものウイグル人が虐殺された事件の責任者とされている。
胡錦濤「中国」国家主席と会談する小沢一郎・民主党幹事長(当時)
胡錦濤「中国」国家主席と会談する小沢一郎・民主党幹事長(当時)
平成21(2009)年12月10日、総勢483名からなる「朝貢団」もとい訪中団を率いて北京を「詣で」もとい訪れていた小沢一郎・民主党幹事長(当時)は、人民大会堂に於いて胡錦濤「中国」国家主席と会談した。政権与党の最高実力者であった小沢は、「傀儡(くぐつ)」である鳩山由紀夫総理を通して「1ヶ月ルール」を無視、「中国」の御意向に沿う形で強引に習近平「中国」国家副主席と天皇陛下との会見をセットさせた。
習近平「中国」国家副主席を引見なされる天皇陛下
習近平「中国」国家副主席を引見なされる天皇陛下
平成21(2009)年12月15日、皇居・宮殿「竹の間」に於いて、来日中の習近平「中国」国家副主席を天皇陛下が引見なされた。この引見が「1ヶ月ルール」を破って「特例」として設定された事もさる事乍(なが)ら、習副主席の方が天皇陛下よりも身長が高いのを差し引いても、国際儀礼上最高位に位置する天皇陛下を前に、一国の最高指導者でも無い習副主席が礼をする事無く握手する態度からは、残念乍ら「敬意」と言うものが一切感じられないと思うのは果たして私一人だけだろうか?
オバマ米国大統領を出迎えられる天皇陛下
オバマ米国大統領を出迎えられる皇后陛下
オバマ米国大統領を出迎えられる天皇陛下と皇后陛下
平成21(2009)年11月14日、皇居・御所を訪問したバラク=オバマ米国大統領は、出迎えられた天皇陛下に対して90度に近い深々としたお辞儀をし乍ら握手された。(皇后陛下に対しても30度程のお辞儀をし乍ら握手された) この写真が米国に配信されるやいなや、米国保守系のFOXテレビが「外国の要人に頭を下げるのは『米国の大統領として不適切』」と批判する等、物議を醸した。まあ、ここ迄深々とお辞儀をする必要等無いが、「世界で唯一の超大国の国家元首」を見習って、天皇陛下を前に軽く頭を下げる位の事を習近平はしても良かった。いや、す可(べ)きであったろう。
胡錦濤「中国」国家副主席(当時)を引見なされる天皇陛下
胡錦濤「中国」国家副主席(当時)を引見なされる天皇陛下
平成10(1998)年4月23日、皇居・宮殿「竹の間」に於いて、来日中の胡錦濤「中国」国家副主席(当時)を天皇陛下が引見なされた。胡錦濤はこの引見から凡(およ)そ5年後の平成15(2003)年3月15日、江沢民(チアン=ツォーミン)に代わって国家主席に就任。「中国」の最高指導者となった。そして、その前例に倣(なら)ったのが、次期国家主席と目されている習近平なのである。
成24(2012)年秋、今や日本を抜いて米国に次ぐ世界第二位の経済大国となった「中国」(支那)が大きな節目を迎えます。それは、9月或(ある)いは10月(最近の情報では11月から来年1月にずれ込むとの見方もあるが)に開催が予定されている中国共産党第十八次全国代表大会(第18回党大会)に於いて、胡錦濤(フー=チンタオ)国家主席(以下、「胡主席」と略)・温家宝(ウェン=チアパオ)国務院総理(首相)が退任、新たに太子党出身の習近平(シー=ジンピン)国家副主席(以下、「習副主席」と略)と、胡主席と同じ中国共産主義青年団(共青団)出身の李克強(リー=クーチアン)国務院副総理(副首相)が夫々(それぞれ)、国家主席・国務院総理に昇格する人事が行われるからです。これにより「中国」の最高指導部は、第四世代の胡−温体制から第五世代の習−李体制に移行する事になります。(とは言うものの、苛烈な権力闘争渦巻く「中国」の事。今年3月15日、薄熙来(ポー=シーライ)重慶市党委員会書記が突如解任された「重慶事変」を例に持ち出す迄も無く、本当に習−李体制が船出するのかはまだ予断を許さない。それ程、太子党・共青団・上海幇(閥)等の勢力が鎬(しのぎ)を削る「中国」の最高指導部人事は、一寸先闇なのである)

(さて)、その習副主席が、鳩山政権下の平成21(2009)年12月14日に来日、翌15日に皇居・宮殿「竹の間」に於いて天皇陛下と特例会見(正確には「引見」である)した事は未だ皆さんの記憶にも新しい事でしょう。この特例会見に付いては、外国要人が天皇陛下との会見を希望する場合、天皇陛下の日程調整の関係から外務省から宮内庁に対し、会見当日の1ヶ月前迄に文書で申請する取り決め ── 所謂(いわゆる)「1ヶ月ルール」に則(のっと)り、「中国」政府から正式に習副主席の訪日並びに天皇陛下との会見希望日程が伝えられたのが1ヶ月を切る11月23日(更に外務省から宮内庁に会見打診が伝えられたのは11月26日)だった事から、宮内庁から外務省・政府に対し「会見には応じられない」旨の返答が為されました。これに基づき日本政府は「中国」側に対し、天皇陛下と習副主席の会見は、

天皇陛下の健康状態を理由に不可能

であると一旦は回答したものの、12月10日に民主党国会議員143名を含む総勢483名からなる訪中団を率い、北京の人民大会堂に於いて胡主席と会談した「陰の総理」小沢一郎・民主党幹事長を通じての「中国」側からの強い圧力に屈した鳩山由紀夫・総理自らが「ルール」を破って、会見当日の僅か4日前の12月11日と言う常識的に考えれば到底あり得ない日に会見を行う事を発表。そして、実際に12月15日、天皇陛下と習副主席の特例会見が行われたのです。

の特例会見に付いては、自民党政権時代から慣例として守られてきた「1ヶ月ルール」を民主党政権が破って強引にセットした事から、『産経新聞』が紙上に於いて、

「『政治主導』と言う名の下(もと)による『天皇陛下の政治利用』である」
「1ヶ月ルールにはご接見される陛下御自身にも準備が必要だと言う理由もある。悪(あ)しき先例になりかねない」

等と論評したのを筆頭に、保守派から痛烈な批判を浴びました。(尤(もっと)も当の鳩山総理は、「諸外国と日本との関係をより好転させる為であり、『政治利用』と言う言葉は当たらない」等と嘯(うそぶ)いてみせた) 又、天皇陛下に引見した習副主席は胡主席に代わって次期国家主席 ── 「中国の紅い皇帝」に就任するであろう事が確実視されている人物ではありますが、その肩書きは未だ「国家副主席」。詰まり、「中国の紅い皇帝」でしかありません。その習副主席が、国際儀礼上、各国大統領(「国家主席」は英語で「President」と訳される事から、「大統領」と同格である)や英国国王(エリザベス二世女王)、更にはローマ教皇(法王)をも凌いで最上位に位置する天皇陛下(「天皇」は英語で「Emperor」と訳され、現在、世界で唯一存在する「皇帝」でもある)に引見した際、礼をする事無く握手する等、極めて不遜な態度を取った事に対しても反発の声が聞かれました。然(しか)し、ルールを無視した強引な会見セットにしろ、天皇陛下に対する態度にしろ、一件極めて不遜に写る習副主席の天皇陛下との引見に対しては、縦(よ)しんば、それがたとえ「中国」側の思惑に日本側が引き摺られたものであったにせよ、視点を変える事で全く別の側面が浮き上がってくるのです。

副主席は何故(なぜ)、日本側に「1ヶ月」ルールなるものがある事を百も承知の上で、強引に天皇陛下との引見をセットさせたのか? それは「新たなる慣例」を踏襲せんが為です。そして、その「新たなる慣例」は平成10(1998)年4月23日に確立されたものなのです。平成10年4月21日、国家副主席の肩書きで日本を公式訪問した胡錦濤は、2日後の4月23日、皇居・宮殿「竹の間」に於いて天皇陛下に引見しました。それから凡(およ)そ5年後の平成15(2003)年3月15日、胡錦濤は江沢民(チアン=ツォーミン)に代わって国家主席に就任しました。その前例に倣(なら)い、「中国」側は今秋、国家主席への就任が見込まれている習副主席の訪日、そして、天皇陛下との特例会見を強引に実現させたのです。詰まり、この「新たなる慣例」とは、こう言う事です。

「中国」の国家主席(最高指導者)に就任する者は、
事前に日本天皇に引見しておかなくてはならない!

胡錦濤は国家副主席在任時に天皇陛下に引見し、その後、国家主席に就任した。その前例に倣い、習近平も来たる国家主席就任に先立ち、国家副主席在任中に天皇陛下に引見、地歩を固めておきたい・・・。これは、見方を変えれば、

「中国」の国家主席に就任するには、
事前に日本天皇への謁見を要する!

とも取れ、更に進んで三段論法的に解釈すれば、

「中国」の国家主席への就任には、
日本天皇の冊封が必須である!

と言う事になるのです。

(さくほう) ── この耳慣れない言葉は、嘗(かつ)て東アジア世界を長きに亘(わた)って律してきた支那歴代王朝を中心とする「中華朝貢(ちょうこう)秩序」の根幹を為(な)すもので、別名「宗属(しゅうぞく)体制」共呼ばれるものです。日本は大陸と海を隔(へだ)てた島国であった事もあって、三国時代に魏と通交した邪馬台国や、六朝(りくちょう)時代に南朝と通交した「倭の五王」の頃はそうであったものの、朝鮮半島や印度支那半島の国々とは異なり、いち早くその秩序から離脱した事もあって余り実感が沸きませんが、西欧列強が清国を蚕食(さんしょく)する以前は、朝鮮半島の歴代王朝にしろ、ヴェトナムをはじめとする印度支那半島の諸国諸王朝は、強大な支那歴代王朝を「宗主(そうしゅ)国」と仰ぎ、自らは「朝貢国」・「冊封国」として君臣関係(主君と家来(けらい)の関係)を結んで、自国の安全を担保してきました。この宗属関係に於いては、各国の王は支那の皇帝に対して、皇帝の聖徳(せいとく)を讃(たた)えるのと同時に、自ら皇帝の忠実なる臣下である旨の文書や方物(ほうもつ;貢ぎ物)を献上し、その見返りとして、

(なんじ)を○○国王に冊封す!

と言った具合に、自らの王位(地位)を承認してもらっていました。その観点からすれば、胡錦濤、習近平と二代に亘(わた)って国家副主席(副王)在任中に来日、天皇陛下に謁見(えっけん)し、天皇陛下との「会見」を以(もっ)て自らに箔を付けた後(のち)、国家主席(正王)に就任する(習副主席の場合は、これからだが)と言う姿勢は、私の目には正に「天皇による冊封」以外の何ものでも無い。その様にしか写らないのです。

「中国」は日本を抜いて世界第二の経済大国に躍(おど)り出ました。又、近年、航空母艦(空母)の建造や、第五世代ステルス戦闘機の国産開発による海空軍力の大幅な増強を基に、アジア太平洋地域を米国と分割支配せんとしています。当然、彼等(かれら)「昇龍」たる「中国」にとって、国力が相対的に衰退している日本等、孰(いず)れは自国の一部 ── 「東海省」や「日本自治区」 ── として組み込まれる事は既定路線だ位に考えているのでしょうが、その思いとは裏腹に、共産党内部の腐敗や拡大の一途を辿(たど)る貧富の格差、更には言論の自由や民主化要求と言った様々な社会の不安定要因により、中国共産党による「中国」の統治支配は必ずしも盤石(ばんじゃく)ではありません。その「中国」にあって国家の最高指導者である国家主席の就任に先立ち、天皇陛下の権威を借りねばならない ── 虎の威を借りねばならない ── と言うのは、「共産党王朝」の末期的症状を如実に現しており、最早(もはや)、「天皇による冊封」以外、国家主席を国家主席たらしめる権威にすら事欠く巨大国家「中国」のお家事情が垣間(かいま)見えてくるのです。(了)


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