Reconsideration of the History
90.日韓・日中共通の「歴史認識」等、出来はしない (2001.6.6)

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政権も末期の平成13(2001)年春、「新しい歴史教科書を作る会」主導の「歴史教科書」(扶桑社)が大幅な修正を余儀無くされつつも、文部科学省の検定を合格しました。しかし、この「歴史教科書」の内容や記述を巡って、シナやコリアが猛然と反発し、現在、更なる修正を求めて、日本に対して明らさまな「内政干渉」をしています。これに対して、日本政府は、

日本の「歴史教科書」は「国定」(国が歴史観を定め、編集するもの)では無く、あくまでも「検定制度」に委ねられており、一度、検定を合格した教科書に対して、政治(国)が介入して記述の修正を指示したり、合否結果を覆して不合格にする事は出来ない。
と反論しました。正にその通りです。国家の定める「歴史観」に基づいて「歴史教科書」を作っているシナやコリアとは、システムが全く異なる日本の教科書検定制度が、シナやコリアの不当な内政干渉によって合否判定を左右されるとあっては、それこそ、日本の「歴史教育」はシナやコリアの言うが儘(まま)となり、完全に破綻する事でしょう。いや、別の言い方をすれば、それは「知(知識であり価値観)の隷属」共言える状況です。その意味においても、今回のシナやコリアによる記述修正等の要求は、断固として拒絶すべきと言えます。

て、この様な状況下、対応に苦慮している日本政府は、文部科学省を中心として、日韓あるいは日中(日本とシナ)「共通の歴史認識」について、両国が有識者レベルで検討をしていく、と言った事を考えています。しかし、はっきり言いましょう。日韓だろうが、日中だろうが、両国「共通の歴史認識」(歴史観)等というものは、百年経っても出来はしないと。と言う訳で、今回は、「共通の歴史認識」について、考えてみたいと思います。

ぜ、「共通の歴史認識」が無理なのか? それは、互いの国の背負(しょ)って立っているものが違う ── 根を下ろしている土壌が異なっているからなのです。より分かり易く言えば、文化性であり民族性の違いなのです。思想や文化、民族が異なれば、価値観や歴史観も異なるのは至極当然で、これは何も国家間に限った事ではありません。日本国内にも当て嵌(は)まる事なのです。例えば、長州(山口県)と会津(福島県)。両県民は、今でこそ随分と和(やわ)らぎましたが、かつては「不倶戴天の敵」共言える関係で、互いを憎しみ合っていました。では、なぜ、その様な関係になってしまったのか? 時は、幕末維新。孝明天皇の憶え目出度(めでた)く、京都守護職を勤めていた会津藩主・松平容保(かたもり)は、孝明天皇の急死、更に倒幕維新に際して、新帝・明治天皇の「朝敵」(天皇の敵)とされてしまいました。当然ながら、容保公のお膝元である会津藩も「朝敵」とされ、官軍(維新政府軍)による「征伐」の対象とされてしまいました。この時、奥羽(東北)諸藩は、維新政府に対して、会津藩の「赦免」(「朝敵」の汚名撤回と名誉回復・「征伐」の停止)を願い出ましたが、維新政府は頑としてこれを拒絶し、遂に官軍が会津へ侵攻、世に「白虎隊」で知られる会津の悲劇が起きたのです。そして、この時以来、長州と会津では、幕末維新に対して互いに異なる「歴史認識」を持つ様になったのです。つまり、長州からすれば、自分達は明治維新に対して主導的な役割を果たし、旧幕勢力の雄・会津への征伐も当然だった、と言う訳です。それに対して会津は、自分達は将軍の下、天皇のお膝元である京都の治安維持に心を砕いてきた。ましてや、孝明天皇の信任厚かった容保公がなぜ「朝敵」とされ、征伐されねばならなかったのか? と長州を恨んだ訳です。どちらも、時は幕末維新です。しかし、長州と会津とでは、幕末維新に対する「歴史認識」は天と地ほどの差があるのです。これで、幕末維新に対する「共通の歴史認識」と言えるでしょうか? 日本国内でさえ、地域レベルでは統一等出来ないと言うのに、ましてや、国家間の「歴史認識」を摺り合わせる等、到底出来よう筈が無いのです。

ぜ、「共通の歴史認識」が無理なのか? もう一つは、「歴史」が歴史的事実の単なる羅列では無いと言う事です。「歴史教科書」でも「歴史書」でも構いません。どちらも、国が異なれば、同じ歴史的事例の筈なのに、全く異なった記述となって表れます。それは、「新しい歴史教科書を作る会」主導の「歴史教科書」に限った事ではありません。諺(ことわざ)に、「群盲象を評す」と言うものがあります。

群盲象を評す(群盲象を撫でる)

多くの盲人が象を撫でて、それぞれ自分の手に触れた部分だけで巨大な象を評するように、凡人が大事業や大人物を批評しても、単にその一部分にとどまって全体を見渡すことができないことにいう。

(『広辞苑』より)

「象」を「歴史」に置き換えて見れば分かりますが、同じ歴史的事例でも、見方や考え方が異なれば、全く異なった「歴史観」として表れてきます。ましてや、「国」ともなれば、文化や民族性は元より、「国益」と言うものも絡んできます。「大東亜戦争」(太平洋戦争)一つ採ってみても、戦勝国側から見れば、軍国主義下の日本によるアジア・太平洋地域への「侵略」となり、日本から見れば、自国の生存権の確保・欧米植民地下にあったアジア民族の解放となる訳です。事の如何に関わらず、「国益」と言うものが、「自国(及びその国民)に利する事」を第一に考える以上、「歴史」は単なる歴史的事例の羅列に留まらず、国家としての主観が入り込むのは当然です。これは、良い悪いと言ったレベルの話では無いのです。そもそも「歴史」自体が抱えざるを得ない宿命共言えるものなのです。

上の事を踏まえれば、シナの「歴史」はシナの国益に合致する事が大前提となり、韓国の「歴史」は韓国の国益に合致する事が大前提となる訳で、実際、両国の「歴史教科書」を開いてみれば分かりますが、「反日」・「抗日」が自国(の政権)の「正統性」を裏付ける役割を担わされている事が手に取る様に分かります。そして、この事は当然ながら、本来、日本にも当て嵌まる事なのです。しかし、現実には、シナやコリアが自国の「国益」に利する様、日本の「歴史教科書」に対して圧力をかけている訳です。つまり、「新しい歴史教科書を作る会」の「歴史教科書」の記述が、シナやコリアの「国益」に不利益に働くと見たからこそ、明らさまな「内政干渉」に訴えてでも、強引にねじ伏せようとしている訳です。ですから、一概に、記述内容に「偽り」があるから、是正を求めている等と思ってはならないのです。その意味では、文部科学省が考えている様な、日韓あるいは日中「共通の歴史認識」についての両国による検討などと言うものは、正に「画餅」(絵に描いた餅)でしかありません。互いの国で醸成されてきた「歴史観」と「国益」を背景に臨む以上、「歴史的事実の羅列」に留まるならば出来なくも無いでしょう。しかし、それらの「時代背景」や「意義付け」の部分では、正直言って「共通化」等、到底不可能です。いや、たとえ「共通化」に成功したとしても、それはどちらか一方の「歴史観」が他方に押しつけられるのが関の山で、真の意味での「共通の歴史認識」等、恐らく百年経っても出来はしないでしょう。その意味では、「共通の歴史認識」の模索等よりも、戦後、封印・歪曲されてしまった朝鮮半島や台湾における日本統治の実情や、「東京裁判」を題材とし話題となった映画『プライド -運命の瞬間(とき)-』に次ぐ第二弾、『ムルデカ 17805』(東宝邦画系)に描かれたインドネシア独立戦争への旧日本軍兵士の参加等、まだまだ「歴史教科書」に載る事無く、そして、教えられる事の無い多くの「歴史」を青少年に教育する事の方が、余程、重要では無いでしょうか。


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