Reconsideration of the History
91.「北方領土」は返ってこない!? 北方領土考-其の壹-(2001.7.7)

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和20(1945)年8月18日、カムチャツカ半島とは目と鼻の先、当時、れっきとした日本領だった千島列島最北端の占守(しゅむしゅ)島に、ソ連軍が侵攻してきました。言う迄も無く、『ポツダム宣言』受諾(8月15日)の三日後の事です。千島列島に侵攻してきたソ連軍は、占守島を皮切りに諸島を次々と攻略し、8月28日には択捉(えとろふ)島に上陸。その後、択捉島と共に、現在、「北方領土」と呼ばれている、色丹(しこたん)島・国後(くなしり)島・歯舞(はぼまい)諸島にも侵攻し、9月5日、遂に千島全島がソ連軍によって占領されてしまいました。それから半世紀以上が経ちましたが、「北方領土」は未だ返還されずにいます。ゴルバチョフ・ソ連大統領の時代に、日ソ間に融和ムードが漂い始め、エリツィン・ロシア大統領の時代に、領土問題を巡って幾度と無く交渉が持たれましたが、残念ながら問題解決には至っていません。と言うか、今後も遅々として進展しないでしょうし、はっきり言えば、現在の交渉方法では恐らく永遠に返還されない事でしょう。と言う訳で、今回は、「北方領土」を歴史的背景とは違った側面から眺めてみたいと思います。

一に、「心理的側面」から。まずは、下の極東地図を眺めて見て下さい。

極東地図1

これは、一般の ── 北が上で南が下の地図ですが、日本列島(以下、単に「日本」と略)・千島列島(以下、単に「千島」と略)・大陸の位置関係に注目して下さい。日本は大陸にへばり付いていると言うか、ぶら下がっている様に見える事と思います。それでは、次にもう一つの極東地図を眺めて見て下さい。

極東地図2

これは、先程のものとは違って、東が上で西が下の地図ですが、日本・千島・大陸の位置関係に改めて注目してみて下さい。如何でしょうか? 先程の地図とは印象ががらりと変わった事と思います。では、なぜ、「東が上で西が下」の地図なのか? 実は、これは、ロシア(旧ソ連)の首都・モスクワから極東を見た場合の地図なのです。カー・ナビゲーション・システム(カーナビ)をお使いの方はご存じの事かと思いますが、最近のカーナビは、常に進行方向が上に来る様に地図画面が変化します。名古屋から東京方向に走行していれば、「東が上で西が下」になる訳です。話題が逸れましたが、「東が上で西が下」の極東地図では、日本が日本海を挟んで大陸に覆い被さる様な ── 見方を変えれば、漬け物石よろしくドッカと載っている様に見える事と思います。そして、更によく見てみると、日本海に面した極東ロシア港湾から太平洋へと出る主要ルートは、北から津軽・関門・対馬と、全て日本の海峡を通過しなくてはならない事に気付かれる事と思います。又、宗谷海峡も、終戦以前、南樺太(北緯50度以南の樺太)を日本が領有していた頃は、文字通り「日本の内海」でしたが、樺太(サハリン)全島がロシア(旧ソ連)領となっている現在では、更にその先の国後水道(国後島と択捉島との間)が、太平洋への「出入口」となっています。

こ迄、読まれた方なら、もうお分かりの事と思いますが、ピョートル大帝の時代から東方へと領土を拡大し、遂には日本海へ進出したロシアにとって、更に、その向こうに広がる太平洋への「出入口」(海峡)が、全て日本に押さえられていると言う事は、閉所恐怖症よろしくロシアに心理的な閉塞感を抱かせている訳です。何しろ、不凍港(冬でも凍結しない港)に大変な執着を見せた国です。広大な領土から見れば、ちっぽけな島々でしか無い北方領土であっても、誰憚(はばか)る事無く自由に日本海と太平洋を行き来する事が出来る「出入口」(宗谷海峡であり国後水道)の存在は、ロシアにとって、閉塞感を解放する為の一種の「弁」(バルブ)の役割をしている訳です。

二に、「商品的価値」として見た場合。「領土問題は解決済み」・「領土問題は存在しない」等と表明していた時期は、さておき、近年の日露間の領土交渉を見てみると、「返されそうで、返されない」様な曖昧な進展具合が続いています。その都度、ロシアは日本に、領土問題に囚われない包括的な関係進展(その大半が対露経済協力問題)を主張し、日本も「領土問題が進展するなら・・・」と、経済協力等の対露支援で答えます。こんな事がだらだらと続いているのが、「北方領土」を巡っての両国関係なのです。では、なぜ、そうなってしまうのか? それは、ロシアからすれば、「北方領土」が日本から資金援助等を引き出すのに必要不可欠な「打ち出の小槌」だからです。つまり、ロシアは「北方領土」を手放さない限り、ちょっとでも「返す」素振りを見せるだけで、日本からカネを引き出せると言う訳なのです。これ程、重宝なキャッシュカード ── しかも返済する必要の無いカードはどこを探しても見あたりません。ですから、ロシアが表面上は「領土問題の存在」を認めていても、本音が「商品的価値」にある以上、日本側の外交姿勢が変わらない限り、まず、戻ってこないと見て間違い無いでしょう。

の様な見方からすれば、日本側に求められるもの(外交姿勢)は、「決して妥協しない」の一語に尽きると思います。たとえ、相手国の首都・モスクワでの領土交渉であっても、安易な妥協はすべきでは無いのです。「もしかしたら返してくれるかも知れない」等と甘い期待を抱いて、小切手を切り続けては、返ってくるものも返っては来ません。交渉において日本は、ロシアに対して「四島一括返還」についてイエスかノーかを迫り、答えが「ノー」なら、交渉のテーブルを蹴ってさっさと帰国する位の姿勢が必要です(当然の事ながら、中途半端な「二島先行返還」等は論外)ロシアにとっても、「お客」(日本)あっての「商品」(北方領土)です。本気で「お客」を怒らせては、「商品」の「価値」もタダ同然となってしまいます(日本が「北方領土」の領有権放棄と引き替えに、対露関係全面凍結を主張したら、それこそお終い)日本は「お客」で強い立場なのですから、ロシアに対して「商品」の値段を叩くだけ叩くべきです。

脅して、すかして、宥(なだ)める

それこそが、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する国際政治の世界で、従来の日本に最も欠けていたもの。且つ、最も求められている外交交渉姿勢とは言えないでしょうか? そして、この外交姿勢無くして、「北方領土」問題の解決は到底あり得ないと言えるのです。

(了)


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