Reconsideration of the History
192.「門戸開放」・「機会均等」 ── 紳士を装った米国と言う偽善者 (2008.1.23)

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門戸開放・機会均等・領土保全

ジョン=ヘイさんも耳にした事がおありかと思いますが、これは、明治32(1899)年、米国国務長官・ジョン=ヘイ(右写真)が、英・仏・独・露・日・伊の六ヶ国に対して送付した『門戸開放通牒(つうちょう)』(Open Door Notes)の要旨であり、米国の対(支那)政策の骨子である「門戸開放政策」を体現した三原則です。

時の支那 ── 清国は、阿片戦争(1839年)・アロー戦争(1857-1860年)・日清戦争(1894-1895年)での相次ぐ敗戦により、西欧列強及び日本による領土分割(完全な分離併合では無く、租借・租界設置・特恵措置の獲得と言う形式が取られた)が為され、主として満州をロシア、山東半島をドイツ、長江流域を英国、福建省を日本、広州周辺地域をフランス、と言った具合に既に列強による勢力圏が確定されていました。その様な状況下、出されたものが先の『門戸開放通牒』であった訳です。そして、そのお題目である「門戸開放・機会均等・領土保全」だけを聞くと、米国が、清国の領土保全を訴え、支那市場の門戸の開放と機会の均等、言い換えれば、自由貿易を求めている、その様に聞こえなくも無く、何となく立派な事を言っている様に思えます。然(しか)し、騙(だま)されてはいけません。これこそ、米国の偽善者ぶりを表すに最も良い材料である事を、私は皆さんに知って頂きたい。そう思うのです。

列強清国分割地図
清国に於ける列強の勢力圏
「横浜金沢みてあるき」より)
(そもそ)も、この時代 ── 帝国主義時代は、強国(列強)が弱小国を併合、植民地化する事は「文明国の責務であり、正義である」とされていたご時世です。門戸開放政策を訴えた米国でさえ、東部13州での建国からスタートし、ネイティブ・アメリカン諸部族(インディアン)の住んでいた土地を「侵略」、西へ西へとフロンティアを開拓し、遂に西海岸へと到達。北米大陸の東海岸から西海岸に至る広大な領土を獲得した後も、米墨戦争(1846-1848年)の戦利品としてメキシコ(墨西哥)からカリフォルニア・ネバダ・ユタとアリゾナ・ニュー-メキシコ・ワイオミング・コロラドの大半及びテキサスを獲得。更に、地続きでのフロンティア(新領土)獲得が無理となると、今度は海洋に進出。ハワイ併合(1898年)と時を同じくして、米西戦争(1898年)の戦利品としてスペイン(西班牙)からフィリピン・グアム・プエルト-リコを獲得、キューバも保護国としました。こうして米国史を繙(ひもと)くと、米国も立派な「帝国主義国家」だった事が分かります。如何(いか)に「領土保全」等と言った所で、米墨戦争により当時のメキシコの領土の1/3も掠(かす)め取ったり、米西戦争の際、スペイン領フィリピンの住民に対し、「米国側に立てば戦争終結後、独立させる」等と言っておき乍(なが)ら、いざスペインに勝利するとフィリピンを独立させるどころかそのまま植民地にしてしまう等の行状を見れば、米国の偽善者ぶりが分かると言うものです。

風刺漫画(さて)、話を米国による『門戸開放通牒』に戻しましょう。米国が、英・仏・独・露・日・伊の六ヶ国に対し、清国に於ける「門戸開放・機会均等・領土保全」を訴えた事は冒頭でも書きましたが、では何故、米国は列強六ヶ国に対し、その様な通牒を送付したのでしょうか? それは、突き詰めれば、列強による清国分割が完成しており、最早(もはや)、米国が入り込む余地が無かったからなのです。(他のアジア・アフリカ地域に於ける列強による分割は既に完成していた) だからこそ、米国は「自分達にとって都合の良い新たなルール」を作り、それを他の列強諸国に呑ませようと躍起になった訳です。ですから、列強によって領土や市場を分割されてしまった清国を、米国が慮(おもんばか)った訳ではありません。例えれば ── とある大都市の「シマ」が既に幾つかのヤクザによって仕切られ、新規参入する余地さえ無い状況下、「アメリカ組」と言う新興ヤクザが勝手な理由を付けて、自分達の「シマ」を確保しようとした ── その程度の話である訳です。「門戸開放」も「機会均等」も後発組の米国が、東アジア最大にして最後の「フロンティア」=清国への新規参入を果たす為の方便だった訳で、それを踏まえて『門戸開放通牒』を見れば、何の事は無い。そんな立派な代物等では無い訳です。(右上画:「CHINE」(シーヌ=支那)と書かれたパイを列強が分割している風刺画。人物は前列の左からそれぞれ、英国のヴィクトリア女王・独国のヴィルヘルム二世皇帝・露国のニコライ二世皇帝・仏国人のマリアンヌ(特定の人物では無い)・日本の明治天皇を表し、後列の手を挙げている人物は、清国の役人を表している。1890年代後半の有名なフランス政治風刺漫画より)

の後、日本は、明治37(1904)年開戦の日露戦争に勝利し、ロシアの持っていた満州権益を獲得したのを皮切りに、第一次世界大戦ではドイツの持っていた山東半島の権益を確保。更には北支や内蒙古への勢力伸長と言った具合に、他の列強諸国に比して、日本の支那に於ける勢力拡大が続き、支那市場の制覇を目論む米国を刺激し続けました。米国は、日米貿易摩擦の際に、『スーパー301条』等と言う身勝手極まりない法律を作って迄して、日本に経済分野でゴリ押ししてきた国です。日本は嘗(かつ)て「エコノミック・アニマル」と揶揄されましたが、寧(むし)ろ、米国の方が日本よりも余程、「エコノミック・アニマル」、いや、今現在も他国市場を制覇する為には戦争すら厭わない「エコノミック・クレイジー」である訳で、「大東亜戦争」(米国言う所の「太平洋戦争」)も、突き詰めれば、支那市場を制覇する上で邪魔者以外の何者でも無かった日本を、実力を以て排除しようとした、一種の「経済戦争」だった訳です。その意味では、「狂信的なタリバンを排除し、アフガニスタンに民主主義を定着させる」とか、「フセインの圧政からイラク民衆を解放し、民主化させる」と言った所で、話半分で聞く必要があります。米国は単なる「ボランティア国家」ではありません。何か行動(戦争)を起こす裏には、自分達の目的を達成する為の「意図」が存在している、その事を我々はしっかりと認識する必要がありますし、現在、日本の「同盟国」だからと言って決して盲信・盲従してはならないのです。


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