Reconsideration of the History
191.日本の捕鯨反対? 欧米諸国は自分達の価値観を押しつけるな!! (2007.12.19)

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座頭鯨さんは、「IWC」と言う国際機関をご存じでしょうか? ILOは国際労働機関、ICPOは国際刑事警察機構(通称「インターポール」)。では、IWCとは何なのか? これは、昭和21(1946)年に締結された『国際捕鯨取締条約』に基づき設立された「国際捕鯨委員会 (International Whaling Commission)」の事で、日本も昭和26(1951)年に加盟しています。元々は、鯨(くじら)資源の保存及び利用に関しての規則を採択したり、鯨の学術的研究・調査を行う目的で設立されたものですが、今では、日本・ノルウェー・アイスランド・デンマーク自治領フェロー諸島等、昔から鯨を食糧として捕獲してきた捕鯨国(調査捕鯨及び捕獲数量を決めた上での商業捕鯨要求)と、欧米を中心とする反捕鯨国(全面的捕鯨禁止要求)の戦いの場と化しています。反捕鯨国側は、姿形は魚と似てはいても、人間と同じ高等哺乳類である鯨(海豚(いるか)や鯱(しゃち)も同類)を捕獲する事は「可哀想」だとか、何も鯨以外にも食糧となる動物は他にいるのだから、捕獲しなくてはならない「必然性」は無い、と言った主張を展開し、日本を筆頭とする捕鯨国が、恰(あたか)も非道な行為を行っているが如き論陣を張っています。然(しか)し、私から見れば、それこそが非道理であり、又、何でも自分達がスタンダードであると言う欧米諸国の傲慢さの象徴でしか無いと映る訳です。と言う訳で、今回は、捕鯨問題を通じて、欧米諸国の傲慢さに喝(かつ)を入れたいと思います。

(そもそ)も、今でさえ「反捕鯨国」に名を連ねている欧米諸国ですが、一昔前は「捕鯨国」と同様に、大海原(おおうなばら)広しと大規模な捕鯨船団を繰り出して鯨を獲(と)りまくっていました。その証拠の一つが幕末日本に現れたペリー提督率いる米国東印度艦隊 ── 所謂(いわゆる)「黒船」 ── の来航です。彼らが何故(なぜ)、鎖国体制下の日本に現れ、開国を要求したのかと言えば、一つは米国と支那(清国)との航路を確立する上で日本への経由・寄港が不可欠だった事が挙げられますが、それ以外に重要な問題があったのです。それは「捕鯨の為」です。米国西海岸から出航した捕鯨船団にとって、太平洋の大海原で捕鯨をするには、膨大な薪(まき)・水・食糧の積載が不可欠でした。然し、万が一それらが不足したら、どうすれば良いのか? 手っ取り早い解決法は最寄りの港 ── 然も外国の港 ── に寄港し、現地で調達する事。その為に、日本の開国と開港が不可欠だった訳です。では、(かつ)て捕鯨国であった欧米諸国が、今では何故、捕鯨全面禁止を唱える反捕鯨国となっているのか? それは彼らの捕鯨目的が主に、鯨油(げいゆ) ── 鯨の「油」 ── だったからなのです。(嘗ての欧米諸国も鯨肉を食さなかった訳では無い)

捕鯨国を構成する「元捕鯨国」の欧米諸国は、嘗て鯨油を一体何の目的で消費していたのか? それは、現在の石油の代わりとしてです。英国で始まった産業革命により急速に工業化が進むと、それ迄、主に灯火燃料(ランプの灯りに利用)でしか無かった鯨油が、機械油等として消費される様になり、増加し続ける需要を満たす為、「元捕鯨国」である欧米諸国は、沿岸捕鯨から大規模な船団を繰り出しての遠洋捕鯨を行ったのです。然し、彼らの捕鯨の主な目的は「鯨油の確保」であり、石油の精製技術が確立し、灯火燃料や工業消費財が鯨油から石油に取って代わると、採算面その他諸々の理由から捕鯨をする必要性が無くなった訳です。だからこそ、「元捕鯨国」である欧米諸国は、捕鯨の全面禁止が為された所で、何ら痛くも痒(かゆ)くも無い訳です。然し、「捕鯨国」にとってみれば、捕鯨全面禁止等、到底受け容れる事が出来る内容ではありません。問題の第一の本質は、正に此処(ここ)にある訳です。

絡繰り人形「弓射り童子」
▲ 絡繰り人形 「弓射り童子」  
(鈴木一義著『からくり人形』より)
「弓射り童子」の動作
▲ 絡繰り人形 「弓射り童子」の動作
「元捕鯨国」から見れば、主として「鯨油の供給源」であった鯨ですが、捕鯨国 ── 日本を例に挙げれば、昔からより有効的な利用をしてきました。例えば、日本では鯨油の利用は当然として、肉(皮や内臓から生殖器迄全て)は食し、骨や髭(ひげ)も、靴篦(くつべら)や工芸細工、更には絡繰(からく)り人形(右写真)の動力源である発条(ぜんまい)の材料として、それこそ丸々一頭無駄無く活用してきました。(詳しくは下の「白長須鯨(髭鯨)の各部位利用図」を参照の事) 又、話が仏教的になりますが、猟をして得た獲物をきちんと無駄無く食して上げる事こそが、尊い命を奪った者の責任であり最大の供養である、と言う考え方もあります。その意味に於いて、鯨油を確保する為に大規模な船団を繰り出した「元捕鯨国」と、日本を筆頭とする「捕鯨国」の捕鯨は些(いささ)か異なり、同一の次元で論ずる事はナンセンスである訳です。又、「鯨を食べるのは可哀想、だから捕鯨を禁止す可(べ)き」と言う主張にも異を唱えざるを得ません。

白長須鯨(髭鯨)の各部位利用図 日本捕鯨委員会ホームページより)
白長須鯨(髭鯨)の利用図

印度の野良牛
▲ ヒンドゥー教徒にとって牛は神の使い「聖獣」である
スペインの闘牛
▲ その牛をスペインでは闘牛で屠り、そして食している
えば、嘗て、牛を神の使い「聖獣」として尊(たっと)ぶ印度人(ヒンドゥー教徒)が、主に牛肉を原料とする米国のハンバーガーを非難した事があったそうですが、その際、非難された米国側は、「ハンバーガーは我が国の食文化」として、にべもなく突っぱねたそうです。米国側の主張は、それはそれで正しい訳ですが、ならば、何故、同じ事を他国に対しても適用出来ないのか? 自国の食文化は他国からの非難があろう共堅持し、他国の食文化は自国の価値観に合わないから変えろ、と言う。これ程、傲慢且つ横暴な論理・主張はありません。又、世界を見渡せば、日本人の私から見ても、首を傾げる様な文化・習慣が、それこそごろごろしています。例えば、スペインの闘牛。闘牛士(マタドール)と牛の死闘に観衆が酔いしれ喝采を浴びせる、ご存じスペインの国技ですが、闘牛士によって斃(たお)された牛は、闘牛場に隣接する解体場に運び込まれ、解体された肉は最終的に人々の胃袋に消えていきます。単に食肉として処理される運命にあるのであれば、闘牛場に引きづり出され、闘牛士によって槍を突き立てられず共良い筈です。端(はた)から見れば、一種残酷な儀式と言っても過言ではありません。然し、闘牛はスペインの国技であり文化である訳です。又、英国で物議を醸(かも)した狐(きつね)狩り。古来日本で行われた「巻き狩り」同様、狐狩りは英国貴族・農民にとっての伝統文化である訳ですが、やる事は単に馬と猟犬を操って狐を追い込み、最後は猟銃で射殺するだけ。食糧を得る為の狩猟では無く、これを「スポーツ」と見たとしても、動物保護団体の目からすれば、単なる野生動物の虐待であり野蛮な殺戮でしか無い訳です。他にも、スペイン・バレンシア地方の「トマト祭り」なぞは、単にトマトを投げ付け合うだけであり、食料を無駄にすると言う点では愚行としか言い様が無い訳です。私は、これらに対して「やめろ」等と言う積もりはありませんが、自分達だって他国の人間からすれば疑問を持たれる様な文化を持っている、その事を自覚す可きであり、こと相手の食文化を云々する事は、国際儀礼の場に於いて相手の信仰する宗教の話題に触れない事と同様、タッチす可きでは無い、と思っています。そして、その論理は、昔は鯨油のお世話になったものの、今では必要無くなった「元捕鯨国」と、今でも鯨資源を必要としている捕鯨国との関係に於いても、適用される可きである。そう私は考えます。(余談だが、支那人の一種「下手物」と言える食文化に対して私も侮蔑する点はあるが、彼らに対して「やめろ」と言う積もりは無い。但し、私自身は絶対に口にはしたくないが・・・)

エスキモーによる捕鯨
▲ アラスカ先住民エスキモーによる捕鯨
ころで、反捕鯨国である米国の国内に於いて、「捕鯨が認められている地域・民族」が存在する事を、皆さんはご存じでしょうか? それはアラスカ州に住むエスキモー(「イヌイット」と言う呼称もあるが、我々が称する同地域住民全体の呼称では無いので、「エスキモー」を用いる)達先住民です。彼らには「絶滅危惧種」に指定されているホッキョククジラを食糧として獲る事が、「原住民生存捕鯨枠」として認められているのです。私はエスキモーが捕鯨する事を批判する積もりは毛頭ありません。彼らが生きていく上で不可欠な猟であり、食文化であるからです。然し、「反捕鯨国」の領土内に「捕鯨容認地域」がある、その事に対しては強く糾弾せざるを得ません。一方では、「捕鯨全面禁止」を唱え、もう一方では自国の先住民保護を理由に一部捕鯨を認める。これこそ、米国お得意の「二重基準(ダブル・スタンダード)」であり、傲慢の極致と言っても過言ではありません。はじめに「捕鯨禁止ありき」の様相を呈している、現在のIWCに対しても、私は他の捕鯨国と共に日本は脱退し、捕鯨国による新たな捕鯨管理機関 ── 「第二のIWC」 ── を設立、公正な視点から鯨資源の管理・研究をす可きものと考えます。鯨の乱獲による絶滅も困りますが、増え過ぎによる生態系の不均衡や破壊も困る。嘗て、何処(どこ)ぞの国で、野生鹿を狼が襲う姿を見て「鹿が可哀想」と言い、狼を駆除した迄は良かったものの、天敵(狼)がいなくなった為に野生鹿が増え過ぎ、餌不足による餓死で狼が居た頃よりも頭数が減ってしまった、等と言う前例もあるのですから、鯨の総頭数管理は必要不可欠であり、捕鯨全面禁止がもたらすマイナス面にも目を向ける可きでは無いのか? そう、私は反捕鯨国や捕鯨反対運動の支持者に強く言いたいですね。

(了)


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