Reconsideration of the History
205.比人少女家族の強制送還問題に思う ── 在日特権との不均衡と一貫性の無さ (2009.3.11)

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さんもテレビや新聞で既にご存じの事とは思いますが、先(ま)ずは以下の記事をお読み頂きたいと思います。

17日の全員送還を通知 カルデロン一家 入管 両親の自主帰国求める

2009年3月10日 東京新聞 朝刊

 強制退去処分を受けた日本生まれのフィリピン人カルデロン・のり子さん(13)=埼玉県蕨市立第一中学1年=の一家が在留特別許可を求めている問題で、9日に出頭した父親のアランさん(36)を強制収容した東京入国管理局は「13日までに両親が自主的に帰国する意思を表明しなければ、17日に家族全員を強制送還する」と通知した。

 この相談のために、のり子さんと母親サラさん(38)の仮放免期限は16日まで延長されたが、家族3人で日本で暮らしたいという願いは遠のいた。

 両親が強制送還されれば、原則5年間は再入国できない。

 森英介法相は、日本に残ったのり子さんに会うために短期間の上陸特別許可を出すことを提案したが、入管側は「自主的に出国しなければ、約束できない」と説明したという。

 アランさんは1992年、妻のサラさんは93年、それぞれ他人名義のパスポートで来日、のり子さんが95年に誕生。2006年に一家の不法滞在が発覚、強制退去処分を受けた。

 処分取り消しを求めて提訴したが、昨年9月に最高裁で処分が確定した。

『気の毒』『違法』 世論は二分 落とし所探る法務省

 カルデロンさん一家をめぐる問題で、法務省は、「気の毒」「不法入国は違法」という二つの世論を横目に落とし所を探ってきたとみられる。

 強制退去命令が出ている一家に対し、のり子さんのみの在留特別許可を認め、両親には再上陸のための短期間の上陸許可を事前に提案したのは「異例中の異例」(関係者)という。柔軟な姿勢を見せた、とする関係者もいる。

 しかし、一方で、ほかの不法滞在者への影響を考えれば「これ以上は譲らない」という強い姿勢を見せる必要があった。

 入国管理局は2004年から「不法滞在者五年半減計画」を実施、当初22万人だった不法残留者を48.5%減らした。07年には再入国外国人に指紋採取などを求める改正入管法を施行した。今国会には三年後導入を目指して、入管と行政が中長期滞在する外国人情報を一元管理するための法案を提出。新制度が始まれば、現在も約11万人が残る不法滞在者には取り締まりが強化される。

 フィリピン人ののり子さんが在留特別許可を申請した場合、在留資格は法務大臣が個々に認めた活動に対して在留期間を判断する「特定活動」になる可能性が高い。高校進学では「留学」という資格もある。こうした措置で学業を、「上陸許可」で親子のつながりを、それぞれ将来も保てるようにするとみられる。

のり子さん『お父さん帰して』

 「すぐにでも、お父さんを帰してほしい」。東京・霞が関で記者会見したのり子さんは涙ながらに訴えた。

 アランさんは前夜、「収容されるかも」と話したという。のり子さんは「本当にそうなってほしくなかった。家族3人で残りたい気持ちは変わらない」と唇をかみしめた。代理人の渡辺彰悟弁護士は「今はどうするか決められない。3人での在留としか言いようがない」と話した。

 のり子さんは母国語を話せず、日本での勉強を希望。一家の在留特別許可を求める署名は約2万人分になり支援は広がっていた。

 外国人問題に詳しい山口元一弁護士によると、不法滞在の家族に在留特別許可を出す場合、強制退去処分を決めた時点で、子どもが母国になじめないと判断される中学生以上というのが入管の基準。のり子さんは小学5年で、そのまま強制送還されても母国になじめると判断したとみられる。

 山口弁護士は「今回の入管の態度は、その後、中学生になってもこの基準の変更を認めず、母国に帰すという意思の表れだ」と解説。「生活実態をみて処分を見直すことも可能なはずだ。子どもの発達にとって、言語や教育環境の重要さ、親子が同居する大事さを考えると、入管当局の態度はかたくなに過ぎる」と指摘した。

 在留特別許可 入管難民法で強制退去処分に該当しても、法相が特別な事情があると認めた時などに適用される。法務省は2006年に発表したガイドラインで、許可を出す際に考慮する要素として、国籍がある国で生活することが極めて困難な場合など、人道的配慮を必要とする事情があることを挙げている。

両親はフィリピン人で、然(しか)も他人名義のパスポートでの不法入国。普通に考えてみれば、強制送還と言う措置は妥当な所。とは言え、その両親には一人の娘がいた。カルデロン・のり子さんだ。彼女は日本で産まれ、「のり子」と言う日本名を付けられ、日本人社会の中で「日本人」として今迄暮らしてきた。両親の国籍はフィリピンだが、彼女はフィリピンの公用語であるフィリピン語(タガログ語)を話す事も書く事が出来ない。彼女は日本の公立学校に通い、日本語でしか読み書きする事が出来ず、彼女自身、「私の母国は日本」と言うのが現実だ。又、一家の暮らす地域での評判は決して悪いものでは無いと言うし、出入国管理及び難民認定法違反(不法入国・滞在)以外は日本の法令を遵守(じゅんしゅ)、真面目(まじめ)に働き、これと言った犯罪歴も無い。こうなると、判断に困ってしまう。確かに、法令を厳密に適用すれば、当然乍(なが)ら、一家共々強制送還と言う措置は妥当であろうし、両親は送還するものの、のり子さん一人にだけは日本在留を特別に認めると言う措置も当局としては寛容なものであろう共思う。誠に以て難しい問題なのである。私個人の意見を言えば、14年(のり子さんが誕生したした1995年以来)もの長きに亘(わた)って日本社会で暮らしてきた一家を、今更(いまさら)、子供一人を日本に残して両親を強制送還と言うのは、人道上の観点から見ても余りにも酷なものがある。母国での政治迫害を逃れて来日したビルマ人(ミャンマー人)の難民申請を渋る等、日本は私にとって自らの祖国であり乍ら、余りにも温情の無い国だ共思う。日本は一体何時(いつ)からこの様な薄情な国に成り下がってしまったのだろうか?(戦前・戦中の日本は、李朝開化派のリーダー・金玉均(キム=オクキュン)、中国革命の父・孫文、日本のカレーの父・ビハリ=ボース、自由インド仮政府首班・チャンドラ=ボース、ベトナム独立運動の象徴・彊柢(クォンデ)侯など、本国で政治的迫害を受ける等した多くの「客人」を厚遇した)

(さて)、此処(ここ)で話題を全く変えて、「在日韓国・朝鮮人」 ── 所謂(いわゆる)通称「在日」に付いて取り上げたいと思います。現在、日本には登録されているだけで凡(およ)そ70万人の在日が居(い)ます。(それ以外に不法滞在韓国人が平成21年1月1日現在、24,198人) その彼らが「在日」と呼ばれる所以(ゆえん)は、偏(ひとえ)に韓国籍又は北鮮籍、詰まり、非日本国籍 ── 日本国民では無いからなのです。では、日本国籍を持たない彼ら在日が何故(なぜ)、日本に斯(か)くも多く日本で暮らしているのか? 其(そ)れは彼らが日本国から「特別永住者」として永住権を認められているからに他なりません。更に、其れでは、何故、在日が特別永住者として認められているのか? 其れは彼ら在日が、戦前・戦中を通して「日本に強制連行されて来た」とされているからなのです。詰まり、日本が朝鮮半島で暮らしていた朝鮮人(当時)を無理矢理、日本に連れて来たのだし、戦後の混乱期に今更帰国する事も出来ないので、日本は責任を取って我々に永住権を認めろ!!と言う主張を日本が飲んだと言う訳です。然し、これは捏造であり歴史の歪曲以外の何ものでもありません。

鮮人の来日滞在者数は明治43(1910)年の日韓併合前後は些程(さほど)でもありませんでしたが、その後、年を追う毎(ごと)に急カーブを描く様になり、終戦の年、昭和20(1945)年には、何と210万人にも達していたのです。では、これ程(ほど)多くの人数が、「日本に強制連行されて来た」のかと言うと、実態は全く違っていました。「内地」(当時、日本本土はそう呼ばれていた)での労働力不足を補う目的で、昭和19(1944)年9月から昭和20年3月迄の極(ご)く短期間、日本軍による「徴用」で来日した朝鮮人が居ましたが、その人数は判明しているだけで 143,656人。(昭和19年〜昭和20年5月 内務省警保局資料『数字が語る在日韓国・朝鮮人の歴史』森田芳夫) 終戦の年、日本本土に210万人もの朝鮮人が居た事は前述しましたが、その内、「徴用」で来日した朝鮮人は凡そ14万人、たったの6.8%に過ぎなかった事になります。更に、終戦を機に朝鮮半島へ凡そ130万人が帰還。「徴用」者も其の殆どが帰還し、日本残留者は僅かに245人。(朝日新聞 昭和34(1959)年月13日付記事) 昭和23(1948年)年の外国人登録者の内、朝鮮人が 601,772人であった事を勘案すると、「徴用」者の内、日本残留者の割合は、何とたったの0.041%。(法務省資料) 詰まり、日本に居た朝鮮人の内、その殆(ほとん)どが、当時、「内地の延長」であった朝鮮半島(決して彼らが言う様な「植民地」等では無かった)から内地への「出稼ぎ」 ── 自らの意志で対馬海峡を渡って日本へとやって来たと言う事になり、その子孫が現在、日本国内に残っている(永住している)凡そ70万人の「在日」と言う事になるのです。

在日韓国人・朝鮮人人数の長期推移(グラフ)
図録▽在日韓国・朝鮮人人数の長期推移より)

(くど)い様ですが、「在日」は日本国籍を取得していません。詰まり、彼らは外国人である訳です。それも今では三世、四世も珍しくは無い程、世代を重ねているにも関わらず、其れでも「日本人」ではありません。「在日」なのです。日本への定住の経緯からすれば、彼ら「在日」の殆どは不法滞在者だった事になります。にも関わらず、世襲永住権を認められ、今や外国籍の儘(まま)、日本での参政権付与すら要求する有様(ありさま)。かたや、日本で産まれ、日本語しか話す事が出来ず、自らを日本人と思っているにも関わらず、強制送還、一家離散と言う現実を突き付けられているフィリピン人少女家族。共に「不法滞在者」であったにも関わらず、この差は一体何なのか? 私は不条理と言うか、日本の法的対処の不公平性を叫ばざるを得ません。(だからと言って、私は「在日」に対する参政権付与に賛成するものでは無い。寧(むし)ろ、「在日」が有する各種特権に異を唱え、撤廃を求める側に立つ者である。尚、本小論では、在日特権の詳細に付いては論じない)

2009年1月1日現在の日本国内に於ける不法滞在者数 者の誤解を招いたかも知れませんが、私は、「不法滞在者全てに無条件で日本での残留を認める可(べ)きだ」等と言う積もりは毛頭ありません。日本には平成21(2009)年1月1日現在、113,072人もの不法滞在外国人がいます。入管当局がこの人数を少しでも減らす可く、鋭意努力している事は充分承知していますし、これ以上、不法入国者を増やさない ── 水際(みずぎわ)で阻止する必要性も理解しています。然し、10万人を超える不法滞在者が日本社会に溶け込んでしまっている。これが現実なのです。そうであるならば、日本はただ単に排除(国外追放)するだけの従来の政策を一考す可きでは無いのか? 当然の事乍ら、日本国内で強盗傷害や違法薬物販売・通貨偽造等の犯罪行為(自動車の駐車違反等の軽犯罪は除外)を行った者は無条件に強制国外追放・永久再入国不許可の対象とす可きですが、我々一般の日本人と何ら変わらぬ日常生活を送っている「善良外国人」に対しては、「一定条件」の下(もと)、「定住滞在権」(永住権では無い)を認めてはどうだろうか? 例えば、米国の様に「国家への忠誠」を求めた ── 具体的には「在日」の一部に日本に永住してい乍ら、「親韓」・「親北鮮」・「反日」的行動を取る輩(やから)が居るが、この様な事は決して認めない ── 上で、3年乃至(ないし)5年毎に更新可能な「定住滞在権」を認める。そして、更に、例え「不法滞在」の前歴があったとしても、登録から一定期間 ── 例えば10年間、善良な生活を送ってさえいれば、帰化を申請出来、正式に「日本人」になる事が出来る──。眼前の現実から目をそらすのでは無く、この様にして、不法滞在者を篩(ふるい)に掛ける事で、「不逞(ふてい)外国人」を排除し、「善良外国人」のみを留める。(外国人に対する一律の排斥とは異なる) 当然、二世、三世と世代が進めば、カルデロン・のり子さんの様に母語は日本語で、生活様式(ライフスタイル)も、論理思考も、一般の日本人と何ら変わらない「△△系日本人」が出来上がる事になります。

日の丸 「異質なもの」を排除する事は極めて簡単な事です。眼前の現実を見て見ぬふりをする事も簡単な事です、然し、世界的にも例を見ない速度で少子高齢化が進行しているこの日本には、合法的に「出稼ぎ」に来ている外国人の他に、10万人を超える不法滞在者が存在している。それを逆手(さかて)に取って、「善良外国人」のみに定住を認め、将来的には肌や目の色が異なるものの、言葉の問題も含め「中身」は純粋な日本人と何ら変わらぬ帰化系日本人を創造する。人口減少により国力が衰退の一途を辿(たど)っていると言うのであれば、飛鳥・奈良時代の如く、多くの帰化人を受け入れ、「新たな国造(づく)り」の基(もとい)と為(な)す。その様な発想の転換が必要では無いか?共思いますし、今回のフィリピン人少女家族の問題を機に、法務省、入管当局、そして、日本国家そのものが、如何(いか)にすれば不法滞在者問題のより良い解決を図れるか? 更には唯(ただ)単に解決するだけでは無く、それによって「プラスα」をも得られはしないか? その様な観点で方策を考えて頂けたらと思います。(了)


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