Reconsideration of the History |
12.「大化」は日本最初の年号ではない!! (1997.7.8) |
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大化改新をテーマにしたついでですので、年号について書いてみようと思います。皆さんも学校で習った事と思いますが、日本最初の年号は「大化」(元年は西暦645年)とされています。しかし、それ以前に年号が存在したと言ったらいかがでしょうか。実は確認されているだけでも、日本の年号起源は100年以上遡れるのです。そして、それら一連の年号は「九州年号」あるいは「倭国年号」と呼ばれているのです(下記参照)。
元 年 | 海東諸国記 | 如是院年代記 | 麗気記私抄 | 九州年号 | その他 |
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522 | 善化 | 善記 | ← | ← | |
526 | 正和 | ← | ← | ← | 正和通宝(孔方不知品より) |
531 | 発倒 | 教倒 | 殷倒 | ← | 発例・定和・常色・教知 |
536 | 僧聴 | ← | ← | ← | |
541 | 同要 | 明要 | ← | ← | |
552 | 喜楽 | ← | ← | ← | |
554 | 結清 | 法清 | 清清 | 法清 | |
558 | 兄弟 | ← | ← | ← | |
559 | 蔵和 | 蔵知 | 蔵和 | ← | |
564 | 師安 | ← | 師要 | 師安 | |
565 | 和僧 | 知僧 | ← | ← | |
570 | 金光 | ← | ← | ← | |
576 | 賢接 | 賢称 | 賢棲 | ← | 賢輔・賢博 |
581 | 鏡当 | 鏡常 | 鏡常 | 鏡鐘 | |
585 | 勝照 | ← | 勝照 | 照勝・和重 | |
589 | 端政 | 端改 | 端政 | ← | |
594 | 従貴 | 吉貴 | 告貴 | 吉貴 | 法興(伊予国風土記より 後述) |
601 | 煩転 | 願転 | 願転 | ||
605 | 光元 | 光充 | 光元 | 弘元 | |
611 | 定居 | ← | 定居 | ||
618 | 倭京 | 和景縄 | 倭京 | 和京縄・和京 | |
623 | 仁王 | (ナシ) | 仁王 | 一説に「仁王」の次に「節中」あり | |
629 | 聖徳 | ← | ← | 聖聴 | |
635 | 僧要 | ← | (ナシ) | 僧要 | 僧安 |
640 | 命長 | ← | (ナシ) | 命長 | 明長・長命 |
645 | 大化 | ||||
647 | 常色 | ← | (ナシ) | 常色 | |
652 | 白雉 | ← | (ナシ) | 白雉 | 中元 |
661 | 白鳳 | ← | (ナシ) | (ナシ) | |
朱雀 | |||||
白鳳 | |||||
684 | 朱雀 | ← | (ナシ) | 朱雀 | 果安 |
686 | 朱鳥 | ← | ← | ||
大化 | (ナシ) | ||||
695 | 大和 | (ナシ) | (ナシ) | 大和 | 大和通宝(孔方不知品より) |
698 | 大長 | ← | (ナシ) | 大長 | |
701 | 大宝 |
註・・・太字の年号は、『日本書紀』に出現するもの。ただし、「大化」は出現しない。
誰もが知っている法隆寺に残るミステリー。日本最初の年号「大化」以前にあってはならない筈の年号が刻まれていると言う、釈迦三尊像光背の金石文を以下に記します。まずはじっくりと読んで見て下さい。
原 文 | 読み下し |
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法興元卅一年歳次辛巳十二月鬼前太后崩 | 法興元三十一年、歳次辛巳(西暦621年)十二月、鬼前太后崩ず。 |
明年正月廿二日上宮法皇枕病弗余 | 明年(西暦622年)正月二十二日、上宮法皇、枕病して余(よ)からず。 |
干食王后仍以勞疾並著於床 | 干食王后、仍(よ)りて以(もっ)て労疾し、並びに床に著(つ)く。 |
時王后王子等及與諸臣深懐愁毒共相發願 | 時に王后・王子等、及び諸臣と与(とも)に、深く愁毒を懐(いだ)き、共に相(あい)発願(ほつがん)す。 |
仰依三寶當造釋像尺寸王身蒙此願力轉病延壽安住世間若是定業以背世者往登浄土早昇妙果 | 「仰いで三宝(さんぽう)に依り、当(まさ)に釈像を造るべし。尺寸の王身、此の願力を蒙(こうむ)り、病を転じ、寿を延べ、世間に安住せんことを。若(も)し是(こ)れ定業(じょうごう)にして、以て世に背(そむ)かば、往(ゆ)きて浄土に登り、早く妙果に昇らんことを」と。 |
二月廿一日癸酉王后即世 | 二月二十一日、癸酉、王后、即世す。 |
翌日法皇登遐 | 翌日(2月22日)、法皇、登遐す。 |
癸未年三月中如願敬造釋迦尊像並侠侍及荘嚴具竟 | 癸未年(623年)、三月中、願の如く、釈迦尊像並びに挟侍及び荘厳の具を敬造し竟(おわ)る。 |
斯微福信道知識現在安穏出生入死随奉三主紹隆三寶遂共彼岸 | 斯の微福に乗ずる、信道の知識、現在安穏にして、生を出(い)で死に入り、三主に随奉し、三宝を紹隆し、遂に彼岸を共にせん。 |
普遍六道法界含識得脱九縁同趣菩提 | 六道に普遍する、法界の含識、苦縁を脱するを得て、同じく菩提に趣(おもむ)かん。 |
使司馬鞍首止利佛師造 | 使司馬(しめ)・鞍首(くらのおびと)・止利仏師、造る。 |
文頭に登場する「法興」の年号。法興31年は、その干支(辛巳)から、621年となります。しかし、この期に及んでも、「大化(645年)以前に年号はなかった!!」と主張される方もいるでしょう。しかし、釈迦三尊像を造った鞍首止利佛師は飛鳥時代の人物ですから、「法興」の年号は、やはり、「大化」(645年)以前と言う事になります。ちなみに、「法興」の年号は、「伊予温湯碑」(愛媛県道後温泉)にも登場します。
法興六年(西暦596年)十月歳在丙辰、我が法王大王、恵総法師及び葛木臣(かつらぎのおみ)と与(とも)に、夷与(いよ)村に逍遙し、正に神井を観る。世の妙験を歎じ、意を敘(の)べんと欲し、聊(いささ)か碑文一首を作る。・・・以上の事実から、「大化」が日本最初の年号ではなかった事が、お分かり頂けたでしょうか? 更に、「大化」以後においても、我が国には一般の年表には登場する事のない年号が存在するのです。これらは「逸年号」あるいは「私年号」と呼ばれています。
逸年号 | 元 年 | 継続年数 |
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白亀 | 724(神亀1) | ? |
保寿 | 1166年頃(仁安前後) | ? |
泰平 | 1172(承安2) | ? |
和勝 | 1190(建久1) | ? |
迎雲 | 1199(正治1) | ? |
建教 | 1225(元仁2) | ? |
永福 | 1297(永仁5?) | ? |
正久 | 1319(元応1) | ? |
元禾 | 鎌倉時代 | ? |
白鹿 | 1345(興国6・貞和1) | ? |
応治 | 1345(興国6・貞和1) | ? |
真賀 | 1356〜(延文〜応安) | ? |
弘徳 | 1384(元中1・永徳4) | ? |
永宝 | 1387(元中4・嘉慶) | ? |
元真 | 南北朝時代 | ? |
至大 | 南北朝時代 | ? |
福徳 | 1489(延徳1) | ? |
永伝 | 1490(延徳2) | 1年 |
彌勒 | 1506(永正3)か 1507(永正4) | 1年 |
永喜 | 1526(大永6) | 2年 |
宝寿 | 1533(天文2) | 2年 |
命禄 | 1540(天文9) | 3年 |
光永 | 1576(天正4) | 1年 |
大道 | 1609(慶長14) | ? |
大筒 | 1609(慶長14) | ? |
延寿 | 1868(慶応4=明治1) | 1年 |
自由自治 | 1884(明治17) | 1年 |
征露 | 1904(明治37) | 1年 |
これらは一般的には、私的な年号とされていますが、中には「彌勒」(甲州年号の一つ)等、私的と言うにはあまりにも広い地域で通用したものもあり、政府(朝廷・幕府側)が公布したものではないからと言う理由だけで、「年号」として認めないと言う姿勢は如何なものでしょうか?