Reconsideration of the History
57.朝鮮総督府に見る「日帝」の功績 日韓裏面史-其の伍-(1999.7.6)

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朝鮮総督府

治43(1910)年の「日韓併合」から、昭和20(1945)年の「光復」(独立)に至る日本の朝鮮半島支配を、コリア人は「日帝(イルチエ)36年支配」と称して、「この世の生き地獄」であったかの様に主張します。しかし、本当にそうだったのでしょうか? 今回は、彼らコリア人が忌み嫌い、そして「憎んだ」朝鮮総督府(上写真)の功績について書いてみたいと思います。

くコリア人は、「日帝支配」 ── とりわけその先兵だった朝鮮総督府を、「悪の権化」の様に扱います。彼らコリア人に言わせると、「日帝の七奪」(国王・主権・土地・資源・国語・人命・姓名の七つを奪ったと言う)を実行した張本人で、朝鮮半島を荒廃させ、コリア人を塗炭の苦しみに陥れた事になるのですが、これはどう見ても明らかな歴史歪曲です。国王(国家元首)・主権(国家主権)・土地(領土)は、前回のコラム56.コリア人が待望していた「日韓併合」でも取り上げた様に、日本による強制的併合ではなく、両国の合意の下での併合でした。又、資源の奪取(搾取)については、併合時、とりたてて資源と呼べる資源が朝鮮半島には存在しませんでした。資源と呼べる資源が無かったのに、どうして、資源の奪取が出来たのでしょうか? 不思議で仕方ありません。更に、国語(朝鮮語)の「禁止」ですが、実際には朝鮮語の禁止はされてはいません。例えば、玄永燮(ヒョン・ヨンソプ:「日本人以上の日本人」と呼ばれた)・朴煕道(パク・ヒド:「三・一独立運動」時の民族代表の一人)等が南次郎総督に、「朝鮮語使用の全廃」を建議した際、南総督はむしろ極力反対したと言われています。そして、コリア人は触れたがりませんが、戦後、「コリア人の誇り」と呼ばれた、あの「ハングル」をコリア人に普及させたのは、「国語を奪った」と言われている朝鮮総督府だったのです。今でこそ、「コリア人の誇り」と呼ばれる「ハングル」は、併合当時、両班(ヤンバン)に代表される知識人階級からは、「アムクル」(女文字)・「アヘックル」(子供文字)等と蔑(さげす)まれ、一般コリア人には全く普及していなかったのです。(何せ、李朝第10代国王・燕山君(ヨンサムグン)が「ハングル教授学習禁止令」を出し、第11代・中宗(チュンジョン)は「諺文庁」を閉鎖したくらいですから、推して知るべしです) この様に、「日帝の七奪」が歴史歪曲である事がお分かり頂けた事と思います。これらは、戦後、韓国においては、李承晩(イ・スンマン)・初代大統領の、北朝鮮においては、金日成(キム・イルソン)・国家主席の徹底した「反日(コリア民族賛美)教育」による所が大きいのです。そして、多くのコリア人が、未だその「呪縛」から抜け出す事が出来ないでいるのです。

て、いよいよ「本題」である朝鮮総督府の「功績」について書いてみたいと思います。まず第一に知って頂きたい事は、日本は朝鮮半島を「搾取」したどころか、反対に日本本国から莫大な資金を朝鮮半島に投資したと言う事実です。「日韓併合」以来、年に一千数百万円から二千万円(当時の金額)もの一般経費補充金が、朝鮮総督府特別会計に補填され、その財政運営を支え続けたのですが、これらの資金はコリア人から搾取したものではなく、日本の国家予算(とどのつまりが、日本国民から徴収した「血税」)や、日本の金融市場で調達した公債だったのです。当時、帝国主義の時代、世界中のどの植民地政策を見ても、植民地(厳密に言うと、朝鮮半島は日本の植民地ではないが)に対して本国政府が莫大な資金を投資した例は希有でした。多くは、本国政府が植民地から利益を吸い上げていた訳で、日本の植民地政策の「特異性」とも言えます。つまり、コリア人が言う所の「搾取」は、「真っ赤な嘘」だった訳です。

二に、朝鮮半島のインフラを整備したのは、朝鮮総督府だったと言う事実です。戦後、韓国は「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる国家の復興と高度経済成長を自慢しますが、その多くは、「日帝時代」に整備されたものなのです。朝鮮半島全土に張り巡らされた道路網・鉄道網・港湾施設等の交通インフラは、朝鮮総督府時代に、日本から投資した資金を元手にして建設整備されたのです。そして、その多くが現在でも利用されているのです。(以前、「漢江の奇跡」時代に突貫工事で建設された橋が自動車の重みで落下した事故があったが、それ以前 ── 「日帝時代」に建設された橋は今尚、現役で活用されている) この交通インフラの整備によって、「陸の孤島」同然だった町や村が接続され、人や物資の往来が活発となり、その結果、朝鮮半島の近代化が加速したのです。又、鉄道網や都市整備が進むと、必然的に電力の確保が必要となります。そこで、炭鉱・砂防・治水・電力・通信網(電信電話施設)の開発整備をも進んだのです。

三に、食料の自給体制を確立したのは、朝鮮総督府だったと言う事実です。朝鮮半島は李朝末期、山は至る所、「禿げ山」。天候不順・農法の稚拙さ(粗放農業)と、両班等による度重なる過酷な搾取によって農民達は労働意欲を無くし、農地の荒廃が進んだのです。元々、粗放農業で収穫率が低かった(「天水田」で、三年一作)所へ持ってきて、農地の荒廃が進んだので、朝鮮半島は現在の北朝鮮同様の、慢性的な食糧不足 ── 飢餓状態に陥っていたのです。そこで、朝鮮総督府は、治山・治水工事を筆頭に、荒れ地の開墾・干拓・灌漑用水の整備と農業インフラの整備をし、更に、粗放農業から集約農法へと転換させ、冬季等の農業閑散期には在宅副業等を奨励し、農民の意識と生活水準の向上を図ったのです。その結果、慢性的な食糧不足に苦しんでいた朝鮮半島は米の増産に成功し、遂には内地(日本本土)へ「輸出」する迄になったのです。

後に、悪名高き「創氏改名」について書いてみたいと思います。「創氏改名」と言うのは、コリア人の名前 ── つまり「朝鮮名」を、「日本名」に改名させたと言われるものです。しかし、実際の所、「創氏改名」は朝鮮総督府による「強制」では無く、コリア人側からの要望でなされた措置で、「自己申告」制だったのです。(「創氏改名」と言い、「日韓併合」・「日本語教育」と言い、コリア側から発議されたものが、「日帝」による強制に変わってしまうのですから、何とも釈然としません) この「創氏改名」は内地に出稼ぎ労働に来たコリア人が、コリア人である事で、待遇等で「差別」されない様に、「日本名」を名乗る事を許可した措置なのです。そして、「創氏改名」は、日本とコリアが「同文・同種」で「同祖」であると言う思想(「日韓併合」・「日鮮合邦」の根本理念)に基づいたもので、現に、朝鮮半島と同様に、総督府が設置されていた台湾に対しては、「創氏改名」は許可制で、その審査基準も極めて厳しいものでした。又、「創氏改名」がコリア人を「人種差別」する為になされた措置だと主張する人がいますが、これも違います。例えば、朝鮮半島出身の生粋のコリア人であるにも関わらず、帝国陸軍に入隊し、遂には「陸軍大将」と言う陸軍最高の地位にまで登りつめ、最後まで「帝国軍人」として自らを全うした人もいました。もし、日本がコリア人に対して政策としての「人種差別」をしたと言うのであるならば、この逸話はどう解釈すればいいのでしょうか?(日本人であっても、「陸軍大将」にはおいそれとはなれないものです)

上、簡単に見てきましたが、如何だったでしょうか? コリア人によって「悪の権化」 ── 「日帝36年支配」の代名詞とされた朝鮮総督府。しかし、その実態は、朝鮮半島の近代化に多大な貢献を果たした存在だったのです。コリア人が、「負の遺産」としての植民地支配を声高に叫ぶのも結構ですが、「正の遺産」としての朝鮮総督府による朝鮮半島近代化の功績も認めるべきではないでしょうか? それが「フェア」な物の見方と言うものだと思うのですが・・・。

参考文献


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