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攻勢終末点

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和陸軍最高の戦略・戦術家、石原莞爾が唱えた軍事論で、「攻勢終末線」とも言う。その骨子は、

「戦力は根拠地と戦場との距離の二乗に反比例する」

と言うもの。

原莞爾は、餓島(ガダルカナル)が米軍に占領され、ソロモン諸島方面の戦局が重大化した際、海軍大佐だった高松宮(昭和天皇の弟)に戦局挽回について意見を求められ、

「戦争の勝敗は最初(開戦の時点)から分かっている。皇軍(日本軍)の作戦は既に攻勢終末点を越えている。戦力は根拠地と戦場との距離の二乗に反比例する。持久戦争(長期戦)では攻勢終末点が最初から確立されなければならない。東条(英機)の戦争はデタラメで決戦戦争(短期決戦)の方法だ。攻勢終末点を越えれば叩かれるのは当然で、負けると分かっている所(餓島)へ兵を送る馬鹿はない」(大要)

と述べている。又、彼は東京裁判の米側検事の一人に、

「今次大戦で、もしも自分が(陸軍)参謀総長だったなら、日本は絶対に負けなかったであろう」

と啖呵(たんか)を切り、その後、UP通信・AP通信記者とのインタビューで、

「ジェネラル(将軍=石原莞爾は法廷で、自分が戦争をしたら戦争は必ず勝っていたと言われたが、どの様な戦争をされたのか?」

と質問された際、持論の「攻勢終末点」論を展開し、更に、

「本土周辺及びサイパン・テニヤン・グアムの南洋諸島を一切難攻不落の要塞化し、何年でも頑張りうる態勢を取ると共に、外交では支那事変(日中戦争)解決に努力を傾注する」

「特にサイパン防衛には万全を期し、ここは断固確保する。これで米軍の侵入は充分防げた。米軍はサイパンを確保しなければ、日本本土への爆撃は困難であった。従って、サイパンさえ防衛出来れば、レイテ(フィリピン)を守り、持久戦に持ち込めた(戦争を膠着化)。蒋介石(中国・国民党総統)が態度(完全に連合国寄り)を明確にしたのはサイパン陥落後だ。サイパンさえ死守出来たら、日本は東亜(東アジア)の内乱を政治的に解決し、支那(中国)に心から謝罪して支那事変を解決し、次に民族の結合を利用して、東亜一丸となる事が出来たであろう」(大要)

と述べている。


参考文献


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