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江華島事件 (1875)

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治8(1875)年、日本海軍の小砲艦が朝鮮西海岸、漢江(ハンガン)河口の江華島(カンファド)付近で砲撃された事件。明治維新以来、日朝交渉が遅々として進まない事に業を煮やした日本政府は、軍事力による威圧 ── いわゆる「砲艦外交」によって事態を打開すべく、明治8年5月、雲揚(245t)・第二丁卯(125t)の二隻を釜山(プサン)近海に派遣し、艦砲射撃演習を実施、示威行動を取った。更に9月20日、「沿海測量」の名目で、雲揚を漢城(ハンソン:李氏朝鮮の首都・現ソウル)の玄関口、江華水道河口に派遣、更にボートで同水道を遡行させた。これに対して江華島の草芝鎮台(要塞)が砲撃した為、雲揚が草芝鎮台、次いで南隣、永宗島(ヨンジョンド)の永宗鎮台を砲撃、同鎮台を陥落させ日本軍は江華島に上陸、占領した。この事件を契機として、日本側のペースで翌明治9(1876)年、日朝修好条規が締結され、李氏朝鮮は「開国」した。


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