Navigator of the Historical term
コスイギン Aleksei Nikolaevich Kosygin 1904-1980

本文へ戻る


左から、ブレージネフ、コスイギン、ポドゴールヌイ 連の政治家。ソ連閣僚会議議長(首相:在任 1964-1980)。サンクト-ペテルブルグ(レニングラード)生まれ。1927年にソヴィエト共産党に入党し、レニングラード市長(1938-1939)、織物工業人民委員(大臣に相当 1939-1940)を経て、1939年に党中央委員に選出、ロシア共和国人民委員会議長(首相 1943-1946)等を歴任。第二次世界大戦後、ソ連邦閣僚会議議長代理や財務相、軽工業相、ゴスプラン(国家計画委員会)議長等の経済閣僚等を歴任。1960年には、閣僚会議第一副議長(副首相)に就任した。1964年、フルシチョーフ閣僚会議議長(首相)の失脚に伴い、これに就任。党中央委員会第一書記(書記長)として党務に就いたブレージネフと共に権力を分掌した。1965年9月には、計画・管理面に於ける企業分権化を図る経済改革 ── 所謂「コスイギン改革」を推進した。(1960年代末迄に頓挫) 一方、1960年代後半から、ジョンソン米国大統領・ウィルソン英国首相等の西側首脳とも積極的に会談を行い、西側陣営との平和的共存を模索した。又、1966年には、インド・パキスタン両国を調停し、「第二次印パ戦争」の解決に尽力。1969年には、周恩来・支那首相と両国関係の悪化回避について会談した。1980年10月、病気によりチーホノフ(ニコラーイ=アレクサーンドロヴィッチ)に首相職を譲り、同年12月に死去。遺体はモスクワ「赤の広場」に埋葬された。

(写真は左から、ブレージネフ、コスイギン、ポドゴールヌイ)


本文へ戻る