Reconsideration of the History
46.日本は「社会主義」の優等生だった!? (1999.1.22)

前のページ 次のページ


和20(1945)年8月15日、アジア太平洋地域を席巻した「旭日の帝国」(大日本帝国)は「崩壊」しました。崩壊した「帝国」に代わって日本を支配したのは、かのGHQ(連合国軍総司令部)最高司令官 ダグラス=マッカーサー元帥でした。そして、彼が新生日本に「与えた」モノこそ、現在、「戦後民主主義」と呼ばれる体制なのです。しかし、その「戦後民主主義」なるモノは、ある意味では彼の意図した通りに、又、ある意味では彼の意図しなかった方向に進んでいったのです(アメリカは日本が「農業小国」になる事を望んでいたが、実際には「工業大国」になってしまった)。ところで、彼が与えた「民主主義」は本当に日本に定着したのでしょうか? そして、それは本当に欧米式の「民主主義」だったのでしょうか? 実は現在の日本の「体制」こそ、ソ連(現ロシア)が、支那が、北朝鮮が「理想」として推進し、そして挫折した「社会主義」そのものだったのです。(今後、「中華人民共和国」(中国)を「支那」(シナ)、「中華民国」(台湾)を「台湾」、南北朝鮮の総称を「コリア」と表記します) と言う訳で、戦後「民主主義」と言われ続けてきた「日本型社会主義」について、今回は簡単に触れてみたいと思います。

後日本の体制は「社会主義」だった。こう書くと、「ン?」と思われる方もおありでしょう。より正確に言うと、「社会民主主義市場経済体制」とでも言えば良いのでしょうか? つまり、共産党の一党独裁体制が放棄され、複数政党制・言論の自由・政治結社の自由が認められた支那を想像してみて下さい。つまり、根幹には「社会主義」があるものの、その上に「民主主義」・「資本主義」が重層構造をなしている体制と言った感じです。

日本は社会民主主義市場経済体制!?

民主主義
(国民主権)

基本的人権の尊重
国民の政治参加

資本主義
(自由経済)

私有財産の肯定
経済の自由化

天皇制
(立憲君主制)

国民統合の象徴
としての皇室

 
社 会 主 義

本は実は「社会主義」体制だった!? ではなぜそう言えるのか? まず第一に、現在の日本人の多くが自らを「中産階級」と認識していると言う事実です。欧米式の自由主義・資本主義体制が行き着くのは、詰まる所、「貧富の格差」の拡大です。富める者はより豊かとなり、貧しい者は益々貧しくなっていく・・・。その良い例が隣国・支那です。欧米式資本主義の「うわべ」−つまり「旨味」(うまみ)のある所だけを重視した結果、臨海部と内陸部ではとてつもない経済的「格差」を生んでしまいました。つまり、欧米式資本主義の直輸入では、共産主義が言う所の「ブルジョア」と「プロレタリア」とに人々が分化されてしまうのです。しかし、日本は資本主義の弊害である「貧富の格差」を完全とは言えないものの克服しました。その結果が日本人に多い「中産階級」意識に反映されているのです。

本は実は「社会主義」体制だった!? その第二点は、日本の「社会」そのものにあります。明治維新後、アジアでいち早く近代化を果たし、敗戦後も「奇跡的」な高度経済成長で再び「復活」した日本。しかし、その根幹はほとんど変化していなかったのです。その最たるものが「ムラ」の意識です。大都市部ではかなり失われた「ムラ」の意識は、地方へ行けば行く程、厳然として生きているのです。この「ムラ」の意識がどの様なものかと言うと、「個人」の利益よりも、まず「地域」(つまりこれが「ムラ」)の利益が「優先」される−地域活動の「多さ」や、選挙の際、有権者が主義主張(政策)よりも、まず「縁故」(地縁・血縁)を重要視すると言う点です。この典型的な例が、ロッキード事件の公判中にも関わらず、地元(新潟)の有権者の多くが「おらが(ムラの)先生」−田中角栄総理を「支持」した事です。

日本の根幹をなす「ムラ」の意識
(日本の「近代的」要素は、「ムラ」意識の上にかぶさっている)

   近代的要素   
 「ムラ」の意識 

本は実は「社会主義」体制だった!? その第三点は、「半統制経済」だった事です。省庁による「行政指導」と言う名の「統制」、銀行における「護送船団方式」、自動車業界における「最高出力自主規制」(国産車の最高出力(馬力)は運輸省の「見えない」規制によって、その上限が280馬力とされている)等々・・・。欧米の資本主義−特にアメリカが何かと圧力をかけてきた日本市場の「障壁」・「規制」問題とは、裏を返せば日本がアメリカ等とは異なる「独自の資本主義」を歩んできた証拠なのです。更に、「統制経済」の最たるものが「米」です。今でこそ、「米の完全自由化」等と言っていますが、「米」は江戸時代以来(江戸時代、各藩の経済力は「石高」(こくだか 米の生産量)を指標とした)、現在に至る迄、政府(及び農協)によって「管理統制」されて来ました。米価しかり、生産調整(減反等)しかり・・・。この「半統制経済」が良かったのか悪かったのかと言う事は一概には言えません。ただ、現実に「日本の資本主義経済」が「半統制経済」だった事は紛れもない事実なのです。

上、「日本型社会主義」について簡単に触れてきましたが、皆さんはどう思われたでしょうか? 欧米ではよく「日本異質論」等と言いますが、正にその通りかも知れません。「民主主義」・「資本主義」と見せかけて、その実態は「社会主義」だった・・・。これこそ、「不思議の国ニッポン」が世界に見せた史上最大の「マジック」とは言えないでしょうか?

   余談(つれづれ)

ルクス、エンゲルスによって「資本論」が著され(1867年 第1巻刊行)、レーニン等によって史上初の「ソヴィエト(共産党)政権」(1917年 ロシア革命)が樹立されて以来、ソ連・支那・北朝鮮を筆頭に、様々な国が「共産主義」・「社会主義」を導入し、国家運営の根本基盤としました。しかし、結果は理想とは大いにかけ離れ、人民を少数の「ブルジョア」(共産党幹部等)と多数の「プロレタリア」(一般国民)とに選別してしまいました。更に、ソ連「帝国」は崩壊し、支那も相反する理論である「資本主義」を導入、「地上の楽園」北朝鮮は経済破綻と飢餓地獄に陥る始末・・・。これら共産主義・社会主義国家が軒並み、自己矛盾・経済的破綻・国家崩壊の憂き目にあう中、意識する事無く「社会主義」を実現してしまった日本。何とも皮肉です。(註 「平成不況」とは言うものの、ロシアや北朝鮮の実情からすれば、まだまだ序の口。本当に「どん底」ならば、食べるのが精一杯で、海外旅行等出来る筈がない・・・)


前のページ 次のページ