Reconsideration of the History
42.琉球独立!! 「沖縄基地問題」に対する処方箋 (1998.11.22)

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る11月15日、新しい沖縄県知事に新人の稲嶺恵一氏が選ばれました。在沖米軍基地問題等に独自のスタンスで日米両政府に臨んだ現職の大田昌秀知事が敗北した事は私にとって、非常に衝撃的でした。これで在沖米軍基地問題が後退する事は必至だと思われたからです。

ころで、私はかねてから在沖米軍基地問題(沖縄基地問題)の解決方法について考えてきました。基地問題をどうすればよいのか? 地域振興をどうすればよいのか? その解決への一つの処方箋(大袈裟過ぎましたね)を今回は書いてみたいと思います。ただ、この解決法を時の沖縄県知事や日本国総理が採用するには、相当の決意(外交・安全保障交渉)が必要だとは思いますが・・・はてさて、その決意やいかに>沖縄県知事殿・日本国総理殿

ず、最初に下のグラフをご覧になって下さい。

在日米軍施設・区域(土地)の地域的分布状況
(資料:1997年版「防衛白書」 / 日本全体:約314平方キロメートル)

沖縄県(75%:約235平方キロ),関東地方(12%:約36平方キロ),東北地方(8%:約24平方キロ),その他(6%:約19平方キロ)


いかがでしょう。あの小さな県土(あの北方領土最大の島「択捉」(エトロフ)よりも小さい)に、日本全体の75%もの在日米軍基地があるのです。はっきり言って「異常」としか言えません。私を含めて本土の人間が抱く以上に、沖縄県民にとって「基地問題」とはより深いものであり、事は日本政府による「地域振興」策程度で解決する様な生易しい問題ではないのです。例えば、こう考えてみて下さい。首都・東京の至る所に、在日米軍基地があるとしたら・・・。果たして、日本政府は「地域振興」策程度で解決するのでしょうか? 「遠い辺境」(沖縄県民の皆さん、「喩え」ですので、怒らないで下さい)だからこそ(日本政府はそう考えているのでは?)、真剣に考えていないのだと思うのですが・・・。

は、どうすれば「沖縄問題」を解決できるのか? 日本にとっても、沖縄にとっても、トリッキーではあるけれども、最も可能な方法。それは、ずばり、

琉 球 独 立

つまり、「日本国」から沖縄県が「分離独立」する事ではないでしょうか? しかし、そんな事で「沖縄問題」が解決出来るのか?と思われる方もおありでしょう。確かに、「独立」に対しては、アメリカが相当の「圧力」(と言うよりも、あからさまな「内政干渉」)をかけてくるでしょう。しかし、アメリカが何と言おうと、沖縄は「独立可能」なのです。

球独立がなぜ可能なのか? それは、今まで誰もが知っていながら、振れてこなかったある「歴史的事情」にあるのです。その歴史的事情とは、

沖縄はほんの100年前迄「独立国」

だったと言う「事実」です(下表参照)

年 代 事 績
14世紀初頭 沖縄本島が山北・中山・山南に分裂(三山時代)
1372 中山王察度(さっと)が明国に入貢
1416 中山王尚巴志(しょうはし)が山北を征服
1429 中山王尚巴志が山南を征服し沖縄本島を統一(第一尚氏王朝)
1470 内間金丸(うちまかなまる)が第一尚氏王朝を滅ぼし、尚円と号す(第二尚氏王朝)
1609 薩摩藩が琉球を征服。王国体制を存続させたまま属国化(島津支配)
1868 明治維新
1871 廃藩置県 明治政府により琉球国が鹿児島県管轄下に置かれる(琉球の保護国化)
1872 明治政府により琉球国は琉球藩と改称。国王尚泰は藩王とされ華族に列される
1874 台湾出兵 明治政府による「琉球処分」方針の決定
1875 明治政府は琉球藩に対し清国との冊封・朝貢関係の停止と藩政改革を要求
1879 琉球藩の廃止 沖縄県の設置(琉球の日本への併合完了)

近代における(と言うよりも現在も)国家の原則の一つに、「民族自決」・「民族国家」と言うものがあります。これは、「自分達民族の事は、自分達で決める」と言う事です。最近では、旧ユーゴスラビア紛争・パレスティナ問題やバスク問題等が代表的です。一方、沖縄はどうかと言うと、つい百年前迄「独立国」だった訳ですし、日本への併合も「平和裏」に行われたものではありませんでした。ですから、沖縄が「民族自決の原則」を盾にとって、日本からの「分離独立」をしても、何ら問題はないのです。

は、「琉球独立」によって、在沖基地問題はどうなるのでしょうか? それこそ、「琉球独立」の最大の「強み」が発揮されるのです。すなわち、

『日米安保条約』は「琉球国」には適用されない!!

と言う事です。ご存じの通り、『日米安保条約』とは「日本とアメリカ」が結んだ条約です。もし、沖縄が「琉球国」として「分離独立」したら? 当然ながら、日米間の条約は「琉球国」に対してその効力を失います。つまり、沖縄が「分離独立」した瞬間、沖縄は『日米安保条約』と言う足枷(しがらみ?)から「解放」されるのです。そして、在沖米軍基地はその存在意義を失うのです。なぜなら、「琉球国」とアメリカの間に「安保条約」が無いからです。もし、アメリカが在沖米軍基地を存続させたいのならば、改めて「琉球国」に対して、「安保条約」締結を要求しなくてはなりません。しかし、ここで「琉球国」がアメリカの要求を拒否したら・・・アメリカは在沖米軍基地に使用している土地を返還せざるを無いですし、当然の事ながら、在沖米軍も撤退しなくてはならないでしょう。もし、「琉球国」からの用地返還や軍の撤退要求を拒否すれば・・・アメリカは他国に対して軍を不法に進駐させ、基地施設を「占領地」として占拠している・・・と言う事になってしまいます。

て、その後の「琉球国」はどうしたら良いのでしょうか? 私が望むものは、ずばり、

日本国と琉球国の「国家連合」

つまり、一種の連邦制と言うか経済共同体です。経済関係(無関税・従来同様の物流)や人的交流(日琉間の無査証自由渡航)では密接に連携し、外交防衛では独立を維持する−これならば、何ら問題は無いのではないでしょうか? 又、前回のコラム(41.アメリカからの真の独立〜新・日本国防論)でも示しましたが、日本が「独立」台湾・フィリピンと集団安保体制を構築出来れば−琉球を「非武装中立地域」とすれば良いのです。更に、その「地勢」を活かして、距離的に近い台湾や東南アジアと密接に結びつき、東アジアの一大貿易センターとして機能する事も可能でしょう。そうすれば、観光産業一辺倒だった沖縄が、日本と台湾・東南アジアとを結ぶ貿易の要衝として発展する筈です。

上、長々と書きましたが、沖縄県が在沖米軍基地問題を解決し経済的に発展する為には、やはり沖縄県民の「決断」が必要です。外野がああだこうだと騒いでも、最後には当事者が「こうしよう」と決めない限り、何ら解決しないのです。そう言う意味でも、稲嶺恵一知事がどの様な手腕を発揮するか? そして、その政策が「吉」と出るか?「凶」と出るか?今後を注意深く見ていきたいと思います。


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