Reconsideration of the History
21.幻の北日本連邦〜奥羽越列藩同盟 南北朝秘史-其の伍- (1998.1.17)

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「東武皇帝」こと北白川宮能久親王(輪王寺宮法親王) 応3(1867)年、「最後の将軍」徳川慶喜は遂に将軍職を辞し「大政奉還」が実現しました。ここに、十五代続いた江戸幕府は幕を閉じ、明治天皇を擁し、薩長勢力を主体とする維新政府が樹立されました。世界的に見ても稀に見る「平和的な政権交代」(当時、幕府側にも相当の軍事力が温存されていたにも関わらず、将軍慶喜は「大政奉還」と言う無血革命に応じた)にも関わらず、維新政府は前将軍・徳川慶喜ら旧幕府勢力を、「朝敵」の名の下、征伐の対象としてしまいました。そして、京都守護職だった会津藩主・松平容保も又、「朝敵」の汚名を着せられてしまったのです。

・明治元(慶応4 1868)年正月、戊辰戦争の火蓋が切られ、維新政府軍(俗に言う「官軍」)と旧幕府軍は全面戦争に突入しました。4月には、「会津藩征討」を要求する維新政府を承認しない東北諸藩が「奥羽同盟」を結成、ここに中央政府から独立をします。更に、翌5月には北越6藩をも加え、北陸以北の諸藩による「奥羽越列藩同盟」を樹立しました。

羽越列藩同盟(以下、単に「同盟」と略)。この北陸以北の諸藩による軍事同盟は単なる軍事同盟とは言えない側面がありました。その最大の理由は、「国家元首」の存在でした。この同盟は何と孝明天皇の御舎弟・輪王寺宮法親王(りんおうじのみや-ほっしんのう,後の北白川宮能久(よしひさ)親王 写真)を「東武皇帝」として擁立、「公儀所」(政府)を白石に、「軍事局」(大本営)を福島に設置し、列強諸外国に対して「独立宣言」をしました。これは、「明治天皇」を擁す薩長の維新政府に対する、北陸以北諸藩による事実上の「北日本連邦」の成立を意味しました。

治天皇(大室寅之祐)と東武皇帝(輪王寺宮法親王)「南朝」の血を引く「明治天皇」(前回のコラムを参照)を擁す維新政府、「北朝」(足利朝)の血を引く東武皇帝を擁す同盟。これは正に南北朝のリターンマッチと言えないでしょうか? 同盟と維新政府の戦は、三春藩・河野広中らの裏切りや、同盟諸藩の脱退により、10月、同盟の敗北により終結しました。ここに、東北以南の日本は維新政府に平定されたのです。しかし、維新政府の全国制覇に真っ向から対抗する挑戦者(チャレンジャー)が現れたのです。彼の名は榎本武揚(たけあき)。そして、彼らが向かった新天地こそ蝦夷地(えぞち 北海道)だったのです。


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