Reconsideration of the History
106.ラストエンペラー(愛新覚羅溥儀)は「漢奸」では無い (2002.9.7)

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「中国」(支那)は、清朝最後の皇帝であり、「満州国」の皇帝であった溥儀を、日本軍部の傀儡であり、国家と民族を裏切った売国奴だとして、

漢奸

と称しています。しかし、私はこの溥儀=「漢奸」論に強く異を唱えます。と言う訳で、今回は、溥儀=「漢奸」論について取り上げてみたいと思います。

奸 ── 支那において「売国奴」を指す言葉ですが、字義通り受け止めれば、

「漢」民族を裏切った「奸」物

と言う事になります。私自身、ここで「漢奸」と言う言葉について、あれこれと高尚な解釈をしようとは思いません。しかし、これだけは皆さんに知っておいて欲しいと言う事があります。それは、「漢奸」と言う以上、その前提として、「漢奸」として断罪される人物は、少なく共「漢民族」(支那人)でなくてはならないと言う事なのです。

「漢奸」は漢民族に限られる。一見すると至極当然の事の様に思われるでしょう。例えば、日本で「売国奴」と呼ぶ場合、その対象となる人物は当然の事ながら「日本人」です。つまり、「日本人」でありながら、日本を裏切ったからこそ、「売国奴」と呼ぶ訳です。しかし、これが例え、日本の国益に反した行動を採ったとしても、ローズヴェルトトルーマンマッカーサー等は、決して「売国奴」とは呼ばれません。何故なら、彼らは外国人 ── 日本人ではないからです。

て話を、溥儀が「漢奸」であるか否かに戻しましょう。結論から言えば、溥儀はどう転んでも「漢奸」には該当しません。それは何故か? 第一に、溥儀が「満州民族」出身である事が挙げられます。先述した通り、「漢奸」は、字義通り解釈すれば、その前提として「漢民族」出身でなくてはなりません。しかし、溥儀は「満州民族」出身であり、「漢奸」の最低条件である「漢民族」出身と言う要素を満たしてはいません。第二に、溥儀は、かつて満州民族が漢民族を「征服」して支那に建設された清朝の皇帝であったと言う事が挙げられます。日本も戦後、国家主権を回復する以前は、GHQ(連合国軍装司令部)に「征服」され、最高司令官のマッカーサー元帥に「戦勝国の皇帝」然として振る舞われました。そして、GHQ(実質的には米国)が日本を統治する上で実施した政策には、多分に「日本の国益」に反するもの(「日本国憲法」の制定等)も含まれていましたが、マッカーサー自身は米国人であり「支配者」です。どんなに「日本の国益」に反する政策を採ったとしても、彼自身が日本人では無く「支配者」側である以上、「売国奴」と呼ぶ事は到底出来ません。清朝の皇帝であった溥儀にもそれが言える訳です。そして、第三に、溥儀が「満州国」の皇帝であった事が挙げられます。

儀が再び皇帝の座に就いた国はあくまでも「満州国」です。「満州国」は、満州民族出身の溥儀が「父祖発祥の地」(故郷)に還り、その地に自らの国家を持ったと言う事であり、日本人が日本と言う国を持っているのと同じ事です。決して、満州民族出身の溥儀が元来、満州民族の土地では無かった上海や広東を占領し、その地に自らの国家を建設した訳では無いのです。つまり、支那の称する溥儀=「漢奸」論は、字義の解釈と同時に、溥儀の出身民族・地位・「満州国」の立地条件の何れを採っても、決して成立し得ない虚妄でしか無いのです。


   余談(つれづれ)

「漢奸」とは異なりますが、現在、台湾国内における「独立」志向の人々蒋介石が率いた国民党政府の台湾移転以前から台湾に住む「本省人」が主体)を、支那は「台独分子」と称しています。この「台独分子」も、字義通り解釈すれば、

台湾を勝手に「中国」から分離独立させようと画策している不平分子
と言った意味になるのでしょう。しかし、「中国」(中華人民共和国=支那)が建国後、今迄一日たり共、台湾を実効支配した事が無い事、台湾が「中国」の国連加盟以前、「中華民国」の名称で国連に議席を持ち、尚且つ、安保理常任理事国だった ── つまり、その当時かられっきとした「独立主権国家」だった事等から、この「台独分子」なる言葉も、溥儀に対する「漢奸」同様、支那の妄言でしか無いと言えます。(了)


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