Reconsideration of the History
233.日本は平時から有事に備え、国策で空母予備艦を確保せよ! (2011.2.2)

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回の小論(『232.「中国」に対抗する迄も無く、海洋国家日本こそ航空母艦を保有す可きだ!』)に於いて、私は日本も空母(航空母艦)を保有す可(べ)きだと書きました。それは多分に、日本が海洋国家 ── 海の大国 ── である事に起因するのですが、それと同時に、「中国」人民解放軍海軍にとって、先の大戦時、多くの空母を擁していた日米両国に倣(なら)い、空母艦隊を保有する事を悲願とする思想がある事も見逃せない要因の一つです。日本を経済力で追い抜いた「中国」は、強大な海軍の象徴共言える空母を保有する事で軍事力でも日本を抜き去り、戦後永らくアジアナンバーワンの地位にあった日本を足下(あしもと)に屈服させたいと考えています。(これは、「中国」共産党・政府・軍と言った体制側の極めて特殊な思想では無く、ごく一般の支那人の願望でもある) 我が国(日本)の政治家は、二言目には「日中の戦略的互恵関係」等と曰(のたま)いますが、「一天に二日(にじつ)無し」(一つの天空に太陽は二つも必要無い)よろしく「中国」は、日本に対し「ウィン・ウィン」の関係等端(はな)から求めてはいません。あるのは、「中国」を頂点とするピラミッド構造の域内秩序 ── 所謂(いわゆる)「中華朝貢体制」唯(ただ)一つ。そして、その秩序の中では、日本は旧ソ連と東欧諸国の関係と同様、「中国の朝貢国(衛星国)」として甘んじる事を求められるでしょう。(いや、たとえ「朝貢国」としてではあっても、国が存続していればまだマシな方で、最悪の場合、「東海省」として「中国」領土に編入されるかも知れない) ですから、「中国」が空母を保有する事で日本を軍事的に圧迫してくる以上、日本も当然の事乍(なが)ら、それに対抗せねばならない。その為に、平成26(2014)年就役予定の次世代ヘリコプター搭載護衛艦「22DDH」の空母化を私は求めているのであり、それに続く「24DDH」の空母化を求めている訳です。とは言うものの、それに続けとばかりに、平時に闇雲に大量の空母を建造し「在庫をダブらせる」のも考え物です。

大日本帝国海水上機母艦「千歳」
大日本帝国海軍改装空母「千歳」
旧帝国海軍水上機母艦「千歳」(上)と空母改装後の「千歳」
航空母艦(空母)が、本格的に運用される前時代、機体下部に浮舟(フロート)を取り付け水面を離発着可能な水上機(アニメ映画『紅の豚』にも数多く登場)を搭載運用した軍艦を「水上機母艦」と呼んだ。全通式飛行甲板は無く、本格的な空母としての運用が出来なかった所等は、ヘリコプターしか運用出来ないヘリ搭載護衛艦「ひゅうが」にも相通じる。本艦は昭和13(1938)年に千歳(ちとせ)型水上機母艦の1番艦として就役したが、同型2番艦「千代田(ちよだ)」と共に、昭和18(1943)年、空母へと改装された。
大日本帝国海小型軍正規空母「龍驤」
大日本帝国海軍小型正規空母「龍驤」
旧帝国海軍小型正規空母「龍驤」(上昭和9年9月6日昭和11年後期)
全長180m・公試排水量12,575tの小型艦乍(なが)らも、れっきとした正規空母。飛行甲板は全通式平型甲板(フラッシュデッキ)で、艦橋(ブリッジ)は飛行甲板最前部直下にあった。艦体は平成21(2009)年就役のヘリコプター搭載護衛艦(ヘリ空母)「ひゅうが」よりも小さいが、戦闘機18機・攻撃機12機(昭和16年時 補用機数は不明)を搭載運用可能な本格的空母で、昭和17(1942)年6月のミッドウェイ攻略作戦の陽動作戦として行われたアリューシャン攻略作戦に、特設空母「隼鷹(じゅんよう)」と共に参加、米国アラスカ州ダッチハーバーに対し空爆を行った。
大日本帝国海軍特設空母「飛鷹」
郵船クルーズ大型豪華客船「飛鳥」
旧帝国海軍特設空母「飛鷹」(上)と郵船クルーズ大型豪華客船「飛鳥」
全長219.32m・公試排水量27,500tの飛鷹(ひよう)型特設空母1番艦。(但し、隼鷹型2番艦との説有り) 元々は、昭和14(1939)年11月30日に川崎重工神戸造船所に於いて建造が開始された日本郵船の北米航路用大型豪華客船「出雲丸」であったが、建造途中で海軍が買収し空母として完成した後、昭和17(1942)年7月14日、商船から軍艦に転籍された「海軍所有の海軍徴用船」。昭和17年6月5日のミッドウェイ海戦で赤城・加賀・蒼龍・飛龍4隻の主力空母を喪失後は、商船改造空母であり乍(なが)ら主力空母の役割を担ったが、昭和19(1944)年6月19日に唯一度の攻撃隊を発艦させただけで、翌20日のマリアナ沖海戦に於いて、米軍機の攻撃を受け沈没した。因(ちな)みに、日本郵船の子会社・郵船クルーズが所有していた大型豪華客船「飛鳥」(現バハマ船籍「アマデア」号)と総トン数は、ほぼ同じである。
大日本帝国海軍特設空母「隼鷹」
大日本帝国海軍大型正規空母「大鳳」
旧帝国海軍特設空母「隼鷹」(上)と大型正規空母「大鳳」
全長219.32m・公試排水量27,500tの飛鷹型特設空母2番艦。(但し、隼鷹型1番艦との説有り) 元々は、昭和14(1939)年3月23日に三菱重工業長崎造船所に於いて建造が開始された日本郵船の北米航路用大型豪華客船「橿原丸(かしわらまる)」であったが、「飛鷹」と同様、建造途中で海軍が買収し空母として完成した後、昭和17(1942)年7月14日、商船から軍艦に転籍された「海軍所有の海軍徴用船」。ミッドウェイ海戦後は、速力は25.68ノットで、30ノット以上を出せる正規空母には遠く及ばなかったものの、「蒼龍」に匹敵する常用48機・補用10機の航空機搭能力を誇り、ミッドウェイ以後の主力空母として帝国海軍を支えた。同型艦の「飛鷹」が不運な艦だったのとは反対に、アリューシャン攻撃・南太平洋海戦・マリアナ沖海戦等の激戦でも沈まず、特設空母の中で唯一、終戦を迎える事の出来た強運な艦だった。因みに、飛鷹・隼鷹では、日本空母で初めて傾斜煙突と一体化した島型艦橋(アイランド)が実験的に採用され、その成果は後に完成した大型正規空母「大鳳(たいほう)」・超大型改装空母「信濃(しなの)」に活かされた。
大日本帝国海軍特設空母「大鷹」
日本郵船超大型貨客船「春日丸」
旧帝国海軍特設空母「大鷹」(上)と日本郵船大型貨客船「春日丸」
三菱重工業長崎造船所に於いて、昭和15(1940)年1月6日に建造が開始された日本郵船の欧州航路用大型貨客船・新田丸(にったまる)型3番船「春日丸(かすがまる)」を、昭和16(1941)年5月に海軍が徴用、佐世保海軍工廠(こうしょう)に於いて空母に改装した大鷹(たいよう)型特設空母1番艦。全長180.24m・公試排水量20,000tと艦体が小さい事、又、速力は21ノットで、搭載機数も常用23機・補用4機と少なかった事から、主に内地(日本本土)から連合艦隊泊地のある西太平洋のトラック(チューク)諸島への航空機輸送船として運用された。後に護衛空母として船団護衛の任に就いたが、昭和19(1944)年8月18日、フィリピン北方に於いて米潜水艦「ラッシャー」の雷撃を受け撃沈された。
大日本帝国海軍特設空母「雲鷹」
日本郵船超大型貨客船「八幡丸」
旧帝国海軍特設空母「雲鷹」(上)と日本郵船大型貨客船「八幡丸」
三菱重工業長崎造船所に於いて、昭和13(1938)年12月14日に建造が開始され、昭和15(1940)年7月31日に竣工した日本郵船の欧州航路用大型貨客船・新田丸(にったまる)型2番船「八幡丸(やわたまる)」を、昭和16(1941)年11月に海軍が徴用、呉(くれ)海軍工廠に於いて空母に改装した大鷹型特設空母2番艦。空母として就役後は「大鷹」同様、航空機輸送船として運用された。昭和19(1944)年8月より、護衛空母として船団護衛の任に就いたが、同年9月17日に米潜水艦「バーブ」の雷撃を受け撃沈された。
大日本帝国海軍特設空母「冲鷹」
日本郵船超大型貨客船「新田丸」
旧帝国海軍特設空母「冲鷹」(上)と日本郵船大型貨客船「新田丸」
三菱重工業長崎造船所に於いて、昭和13(1938)年12月14日に建造が開始され、昭和15(1940)年3月23日に竣工した日本郵船の欧州航路用大型貨客船・新田丸(にったまる)型1番船「新田丸」を、昭和16(1941)年9月12月に海軍が徴用。対米開戦後、暫(しばら)くは輸送艦として運用していたが、昭和17(1942)年8月31日、海軍が買収し、呉海軍工廠に於いて空母に改装した大鷹型特設空母3番艦。空母として就役するも、終始、航空機輸送船として運用され、内地とトラック諸島の間を往復したが、横須賀軍港へ帰投中の昭和18(1943)年12月14日、八丈島の東200海里に於いて、米潜水艦「セイルフィッシュ」の雷撃を受け沈没した。
大日本帝国海軍特設空母「神鷹」
ドイツ客船「シャルンホルスト」
旧帝国海軍特設空母「神鷹」(上)とドイツ客船「シャルンホルスト」
ドイツ国ブレーメンに於いて昭和10(1935)年4月30日に竣工したドイツ客船「シャルンホルスト」を日本が購入、改造した特設空母。昭和14(1939)年8月26日、神戸港を出港し、マニラ経由シンガポールへと向かっていたシャルンホルストは、ドイツ本国からの暗号無電により日本へと回頭。第二次欧州(世界)大戦が勃発した同年9月1日、神戸港へと入港、その儘(まま)係留された。その後、シャルンホルストは、大戦勃発により本国への帰還が事実上不可能なドイツと、ミッドウェイ海戦に於いて一挙に4隻もの正規空母を喪失した日本の思惑が一致した事で、日本への売却が決定。昭和17(1942)年9月から呉海軍工廠に於いて空母への改造が開始され、昭和18(1943)年12月15日、日本海軍特設空母「神鷹(しんよう)」として就役した。その後、護衛空母として船団護衛の任に就いていたが、佐賀県伊万里湾から中華民国(支那)浙江省の舟山列島へ向かう「ヒ81船団」護衛任務中の昭和19(1944)年11月17日、米潜水艦「スペード-フィッシュ」の雷撃により航空機用燃料槽のガソリンが爆発。大火災を起こし沈没した。
大日本帝国海軍特設空母「海鷹」
大阪商船貨客船「あるぜんちな丸」
旧帝国海軍特設空母「海鷹」(上)と大阪商船貨客船「あるぜんちな丸」
三菱重工業長崎造船所に於いて建造された大阪商船の豪華貨客船「あるぜんちな丸」を海軍が買収、改造した特設空母。あるぜんちな丸は、昭和14(1939)年5月31日、神戸から台湾の基隆(キールン)、シンガポール、南アフリカのケープタウン、ブラジルのサントス、パナマ運河を経て神戸へ帰還する世界一周航路用豪華貨客船として就役したが、対米開戦後の昭和17(1942)年5月1日、特設輸送艦として海軍が徴用。ミッドウェイ開戦後の6月30日、急遽(きゅうきょ)、空母への改造が決定、12月9日に海軍が買収した上で三菱重工業長崎造船所に於いて改造に着手。昭和18(1943)年11月23日、特設空母「海鷹(かいよう)」として就役した。空母として就役後は、航空機輸送艦・船団護衛空母としての任に就いたが、昭和20(1945)年中頃以降、極度の燃料不足で稼働も儘(まま)ならず、特攻兵器標的艦として運用されていたが、同年7月24日、愛媛県佐田(さだ)岬沖で機雷に触れ船体を損傷、大分県別府湾岸に擱座(かくざ)。同月28日、米軍機の空爆により浸水が増大した事で船体が放棄され、その儘、終戦を迎えた。

動車も船舶も家屋もそうですが、「モノ」は日頃から「使う」事で長持ちするものです。自動車を例に挙げれば、長期間エンジンを掛けず動かさずに置いておくと、燃料タンク内のガソリンは変質(劣化)しますし、走行する事で充電されるバッテリーも徐々に電気が失われ、その内、バッテリー上がりを起こします。オイル類も循環しないので腐り(劣化)ますし、各種駆動部も動かさない事で固まってしまいます。「巨大な鉄の塊(かたまり)」である船舶も同様です。係留した儘(まま)動かさなければ、常に潮風(しおかぜ)や雨露(あめつゆ)に晒(さら)される船体は、塗装が劣化剥離し、そこから錆び(腐食)ますし、火を入れない機関も役に立たなくなります。ですから、空母を建造した以上は、実際の戦闘に使うのは別として、適度に動かさなくてはなりませんし、定期的なメンテナンスも不可欠です。とは言うものの、平時でも必要な数(隻)は保有しておかねばなりませんが、戦時(有事)を見据えて必要以上の数を常時保有しておく事は、財政的に大きな負担を強(し)いられ、国の屋台骨を揺るがす事にもなりかねません。それでは、一体如何(どう)すれば、この問題を解決出来るのか? 平時に空母を大量に建造する事は財政的にも管理面に於いても負担となる。かと言って、戦時に一から空母の建造を始めたのでは間に合わない。これを解決する方法は唯一つ。

平時から、有事の際、空母に
改造可能な民間船を確保

しておけば良いのです。

帝国海軍に於いては、最初から空母たる可く建造された純粋な空母である「正規空母」の他に、戦艦や水上機母艦、潜水母艦(潜水艦への食料・燃料・武器弾薬その他物資を補給する為の水上艦)と言った別種の軍艦を空母に改造した「改装空母」、更には、平時に民間船会社(ふながいしゃ)により依り運航されていた商船(客船・貨客船)を海軍が徴用・買収し、空母に改造した「特設空母」(商船改造空母)の三種類が存在しました。(現代では、大・中型空母を「正規空母」、小型空母を「軽空母」と分類するが、戦前・戦中は艦の大小に関わらず、最初から空母たる可く建造された純粋な空母は全て「正規空母」とされた。その為、公試排水量が僅(わず)か12,575tしかない「龍驤(りゅうじょう)」も、軽空母並の小型艦乍(なが)ら正規空母とされた)

船から空母へと改造された特設空母は、皆、艦名を「〜鷹(よう)」と改名され、旧帝国海軍の空母戦力補強の一翼を担(にな)いました。とは言え、大鷹(たいよう)級空母(全長180.24m・公試排水量20,000t)の「大鷹」(旧「春日(かすが)丸」)・「雲鷹」(旧「八幡(やわた)丸」)・「冲鷹(ちゅうよう)(旧「新田(にった)丸」)の3隻と、「神鷹」(旧ドイツ客船「シャルンホルスト」;全長198.34m・公試排水量20,900t)・「海鷹」(旧「あるぜんちな丸」;全長166.55m・公試排水量16,700t)の2隻は小型で速力も遅く、搭載機数も少なかった事から、専(もっぱ)ら船団護衛空母や航空機運搬船として運用されました。それに対し、飛鷹級空母(全長219.32m・公試排水量27,500t)の「飛鷹」(旧「出雲丸」)・「隼鷹(じゅんよう)(旧「橿原(かしわら)丸」)の2隻は、特設空母乍(なが)らも日本の空母として初めて本格的に「電探」(レーダー)が搭載され、その後の大型正規空母「大鳳(たいほう)」・超大型改装空母「信濃(しなの)(建造中の大和型超弩級巨大戦艦の3番艦から改造)へと続く傾斜煙突と一体化した島型艦橋(アイランド)も実験的に採用。中型(客船として見れば大型)で速力も比較的高速だった事共相まって、昭和17(1942)年6月4日、ミッドウェイ海戦に於いて、「赤城(あかぎ)」・「加賀」・「蒼龍(そうりゅう)」・「飛龍」の主力空母4隻を一気に失って以後の帝国海軍に於ける主力空母として前線に投入されました。その中でもとりわけ「隼鷹」は、昭和17年6月3〜7日のアリューシャン攻略作戦(米国アラスカ州ダッチハーバー空爆)・同年10月26日の南太平洋海戦(米軍呼称は「サンタ-クルーズ諸島海戦」)、昭和19(1944)年6月19〜20日のマリアナ沖海戦(米軍呼称は「フィリピン海海戦」)と言った名だたる戦いに参加。マリアナ沖海戦に於いて直撃弾2発・至近弾6発の攻撃を受け中破(修理に依り戦線復帰可能な程度の損傷)したものの、輸送艦として復帰(以後、搭載機不足で空母としての運用は無し)。同年12月9日、マニラへの輸送任務の為、広島県の呉(くれ)軍港から長崎県の佐世保軍港へ物資積載目的で回航中、長崎県五島列島の女島(めしま)付近に於いて、米軍潜水艦「シー-デビル」・「レッド-フィッシュ」の2隻から雷撃(魚雷攻撃)を受けるも辛うじて佐世保に帰投。修理の為、ドックに係留された儘(まま)終戦を迎え、数多くの空母が除籍(撃沈・大破による艦体放棄)した中(特設空母は隼鷹以外全てが戦時中除籍)、沈む事無く戦争を生き抜いた数少ない幸運な艦(ふね)として歴史に名を残しました。(尤(もっと)も終戦後、空母から商船に戻される事無く除籍解体されてしまったのだが)

上、帝国海軍の特設空母に付いて簡単に触れた訳ですが、皆さんの中には、

「幾ら戦時下とは言え、民間船を海軍が徴用、空母に改造して運用するなんて、随分強引な事をしたものだ」

と言った風に思われた方もおありでしょう。確かに、民間の船会社が建造した商船を、「空母が不足しているから」と言う理由で海軍が無理矢理徴用接収したとなると、随分酷(ひど)い話です。船会社からすれば、巨費を投じて建造した商船を海軍に持って行かれる訳で、商売道具(船)は無くなるわ、借金(建造費用)は残るわでは、正(まさ)に踏んだり蹴ったりと言った所でしょう。然し、本当にそうだったのか? 実は船会社も海軍に船を持って行かれる事は百も承知。お互い充分納得した上での事だったのです。では、何故、船会社がこの様な海軍の無体(むたい)を許容したのか? そこにこそ、本小論に於いて取り上げたい核心部があるのです。

軍が民間船会社の商船を有無を言わさず強引に徴用したとなると酷い話です。然し、実際はきちんとしたルールに則(のっと)って合法的に徴用は行われましたし、海軍=国とて無論「ただ」で徴用した訳ではありません。戦前の日本に於いては、昭和12(1937)年4月に定められた「優秀船舶建造助成施設」、昭和13(1938)年に定められた「大型優秀船舶建造助成施設」制度に基づき、民間の大型高速商船が建造される際、一定の条件を設け、その基準を満たすものに対して、国が建造費助成金を支出していました。例えば、「大型優秀船舶建造助成施設」に於ける船舶建造条件は、

  1. 総トン数(公試排水量)は26,000t以上
  2. 最大速力は時速24ノット(約44.5km/h)以上
  3. 着手から3ヶ月以内で空母への改造が可能
  4. (ハッチ)の大きさ・位置の海軍規格の採用
  5. 飛行甲板設置の為の甲板構造設計の採用
  6. 機関室両舷の軍艦式二重船殻構造の採用
  7. 船体の上層縦強力材に特殊鋼の使用
  8. 日本商船初の球状船首(バルバス-バウ)の採用

と言ったもので、これを前提に起工したのが日本郵船の「出雲丸」(後の空母「飛鷹」)と「橿原丸」(後の空母「隼鷹」)であり、この時、政府は建造費の6割を負担しているのです。そして、この助成制度は海軍(国)・船会社双方にメリットのあるものでした。例えば、海軍にしてみれば、有事の際に徴用、短期間で空母に改造可能な大型船を確保しておく事が出来ますし、船会社にしても、総建造費の4割負担で済み、更に有事で客船の運航が出来なくなった際(戦争で世界周遊旅行どころで無くなった際)には、船を海軍に売却 ── 詰まり、「ただ」で船を海軍に接収される訳では無い ── 出来る訳で、決して悪い話では無かったのです。(因(ちな)みに、有事の際、海軍が徴用した特設艦船は空母に限ったものでは無く、巡洋艦・水上機母艦と言った戦闘艦の他、航空機運搬艦・給油船(油槽船)・給糧船と言った補助艦船等、多岐に亘(わた)った)

(さて)、この民間船徴用制度。これは現代日本に於いても充分適用可能なものだと私は考えています。例えば、造船業界では毎年常に一定数の船を建造(発注)している訳では無く、2年間好況が続くと船がダブ付き初め、その後7〜8年間は不況が続く周期を繰り返します。然し、それでは新規発注が無い間、従業員や造船施設を遊ばせておく事になる訳で、それを避ける為に造船会社が船主を建造後に見付けて売却する目的で、「ストックボート」と呼ばれる船を建造します。「ストックボート」と呼ばれる以上、新造船は飽(あ)く迄も「ストック」=在庫である訳で、正に「売れてなんぼ」。買い手が見付かれば建造費用は回収出来ますが(但(ただ)し、100%回収出来るかどうかは別の問題)、見付からなければ一銭にもならない余剰在庫となり、更に維持管理費用が重くのしかかって来ます。然も、左団扇(うちわ)だった日本の造船業界も、韓国、更には「中国」の台頭に依り、今は昔と言うのが現実です。其処(そこ)へ持ってきて有効なのが民間船徴用制度です。戦前の様に新造船の建造費用を国が一定の割合で負担拠出する。これに依り、船会社(船主)は建造費の負担額を軽減する事が出来(造船会社も「ストックボート」建造の際、一定規格に則って設計する事で同様の恩恵を受けられる)、一方の国(海上自衛隊)も、有事の際に徴用可能な船を常に確保しておく事が出来る。正に大岡裁(さば)きの「三方一両損」よろしく、国・船会社・造船会社の三者に取って一定のメリットがある制度である訳です。

あ、実際の所、現在の日本に於いても、有事の際に短期間で軍艦(空母を含む)に改造可能な仕様に則って船が建造される等と言った事が行われている様ですが、時の政権(政権与党)の方針で風向きがころころと変わる様な不安定な状態は、正直言って褒(ほ)められたものではありません。自国の周囲に紛争の種を抱え、未だ冷戦真(ま)っ只中(ただなか)の極東に位置する日本にとって、有事法制の一環として、有事の際に民間船を徴用・改造し、海上自衛隊の艦船として運用する。その為に、平時から国が一定の割合で建造費用を助成する。この様な法的仕組みを整備しておく事は必要ですし、国防の観点から見ても極めて有効な対策である訳です。

どい様ですが、海洋国家── 海の大国 ── である日本にとって、空母は必要不可欠な艦(ふね)であり、海上自衛隊への配備は急務です。(「中国」海軍が空母を就役させ、機動部隊の本格的運用が始まってから対処したのでは最早(もはや)遅い) それに加えて平時から有事に備え、言わばプロ野球に於ける「二軍」に相当する予備艦船(改造する事で、何時(いつ)でも「二軍」(民間船)から「一軍」(軍艦)に昇格)を確保しておく。この二段構えの態勢を整える事で、初めて日本の海防、ひいては国防が確保されるのです。その観点からも、空母建造で「中国」に後(おく)れを取っている日本は、曲がりなりにも「平和」である今だからこそ、法制面も含め早急に態勢を整えねばなりません。以上で、本小論は終わりますが、最後に、二つの格言を皆さんにご紹介し、「平和」とは何か?「戦争」とは何か?をしっかりと嚙(か)み締めて頂き乍ら、締め括(くく)りたいと思います。

戦争は外交の延長線上の極端な形式である
(ドイツ人軍学家 カール=フォン=クラウゼヴィッツ著『戦争論』より)

平和とは、国際関係に於ける戦争と戦争の合間の騙し合いの期間である
(米国人作家 アンブローズ=ビアス著『悪魔の辞典』より)

(写真の内、水上機母艦及び空母改装後の「千歳」、「龍驤」・「隼鷹」・「大鳳」・「大鷹」・「神鷹」・「海鷹」の各空母は、「旧日本海軍・艦艇写真のデジタル着彩」より引用)


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