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枢密院 |
『大日本帝国憲法』(以下、「明治憲法」と略)下における天皇の最高諮問機関で、「枢府」共呼ばれた。明治21(1888)年、「明治憲法」草案審議の為に設置され、元勲及び練達の人からなる枢密顧問官と、閣僚によって構成。「明治憲法」に、
「天皇ノ諮詢ニ応ヘ重要ノ国務ヲ審議ス」
と規定され、諮問事項は皇室典範・憲法及び附属法令・官制に関する勅令・戒厳宣言等の勅令・条約等多岐に及んだ。内閣(政府)の施政に対する干渉は禁じられていたが、第1次若槻礼次郎内閣の総辞職(1927年)・不戦条約批准問題等(1928年)・ロンドン軍縮条約における統帥権干犯問題(1930年)において策動。隠然たる権勢を誇っていたが、軍部の台頭によって勢力を削がれ、昭和22(1947)の『日本国憲法』施行を以て廃止された。
枢密院議長 |
代数 |
在職期間 |
氏名 |
第1代 |
明治21. 4.30〜明治22.10.30 |
伊藤 博文 |
第2代 |
明治22.12.24〜明治24. 6. 1 |
大木 喬任 |
第3代 |
明治24. 6. 1〜明治25. 8. 8 |
伊藤 博文 |
第4代 |
明治25. 8. 8〜明治26. 3.11 |
大木 喬任 |
第5代 |
明治26. 3.11〜明治27.12.18 |
山県 有朋 |
第6代 |
明治28. 3.17〜明治33. 8.25 |
黒田 清隆 |
第7代 |
明治33.10.27〜明治26. 7.13 |
西園寺公望 |
第8代 |
明治36. 7.13〜明治38.12.21 |
伊藤 博文 |
第9代 |
明治38.12.21〜明治42. 6.14 |
山県 有朋 |
第10代 |
明治42. 6.14〜明治42.10.26 |
伊藤 博文 |
第11代 |
明治42.11.17〜大正11. 2. 1 |
山県 有朋 |
第12代 |
大正11. 2. 8〜大正13. 1. 7 |
清浦 奎吾 |
第13代 |
大正13. 1.13〜大正14. 9.25 |
浜尾 新 |
第14代 |
大正14.10. 1〜大正15. 4. 8 |
穂積 陳重 |
第15代 |
大正15. 4.12〜昭和 9. 5. 3 |
倉富勇三郎 |
第16代 |
昭和 9. 5. 3〜昭和11. 3.13 |
一木喜徳郎 |
第17代 |
昭和11. 3.13〜昭和14. 1. 5 |
平沼騏一郎 |
第18代 |
昭和14. 1. 5〜昭和15. 6.24 |
近衛 文麿 |
第19代 |
昭和15. 6.24〜昭和19. 8. 7 |
原 嘉道 |
第20代 |
昭和19. 8.10〜昭和20. 4. 7 |
鈴木貫太郎 |
第21代 |
昭和20. 4. 5〜昭和20.12.14 |
平沼騏一郎 |
第22代 |
昭和20.12.15〜昭和21. 6. 3 |
鈴木貫太郎 |
第23代 |
昭和21. 6.13〜昭和21. 9.26廃止 |
清水 澄 |
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