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遼東半島還附ノ詔勅 (三国干渉の詔勅 明治28年5月10日)

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遼東半島還附ノ詔勅

<原文>

朕嚮ニ清国皇帝ノ請ニ依リ全権弁理大臣ヲ命シ其ノ簡派スル所ノ使臣ト会商シ両国講和ノ条約ヲ訂結セシメタリ

然ルニ露西亜独逸両帝国及法朗西共和国ノ政府ハ日本帝国カ遼東半島ノ壌地ヲ永久ニ所領トスルヲ以テ東洋永遠ノ平和ニ利アラスト為シ交々朕カ政府ニ慫臾+心【ヨウ】スルニ其ノ地域ノ保有ヲ永久ニスル勿ラムコトヲ以テシタリ

顧フニ朕カ恒ニ平和ニ眷々タルヲ以テシテ竟ニ清国ト兵ヲ交フルニ至リシモノ洵ニ東洋ノ平和ヲシテ永遠ニ鞏固ナラシメムトスルノ目的ニ外ナラス 而シテ三国政府ノ友誼ヲ以テ切偲スル所其ノ意亦茲ニ存ス

朕平和ノ為ニ計ル素ヨリ之ヲ容ルルニ吝ナラサルノミナラス更ニ事端ヲ滋シ時局ヲ艱シ治平ノ回復ヲ遅滞セシメ以テ民生ノ疾苦ヲ醸シ国運ノ伸張ヲ沮ムハ真ニ朕カ意ニ非ス 且清国ハ講和条約ノ訂結ニ依リ既ニ渝盟ヲ悔ユルノ誠ヲ致シ我カ交戦ノ理由及目的ヲシテ天下ニ炳焉タラシム

今ニ於テ大局ニ顧ミ寛洪以テ事ヲ処スルモ帝国ノ光栄ト威厳トニ於テ毀損スル所アルヲ見ス 朕乃チ友邦ノ忠言ヲ容レ朕カ政府ニ命シテ三国政府ニ照覆スルニ其ノ意ヲ以テセシメタリ 若シ夫レ半島壌地ノ還附ニ関スル一切ノ措置ハ朕特ニ政府ヲシテ清国政府ト商定スル所アラシメムトス 今ヤ講和条約既ニ批准交換ヲ了シ両国ノ和親旧ニ復シ局外ノ列国亦斯ニ交誼ノ厚ヲ加フ 百僚臣庶其レ能ク朕カ意ヲ体シ深ク時勢ノ大局ニ視微ヲ慎ミ漸ヲ戒メ邦家ノ大計ヲ誤ルコト勿キヲ期セヨ

(御名御璽)

明治二十八年五月十日


<読み下し文>

朕、嚮(さき)ニ清国皇帝ノ請ニ依(よ)リ、全権弁理大臣ヲ命ジ、其ノ簡派(かんぱ)スル所ノ使臣ト会商(かいしょう)シ、両国講和ノ条約ヲ訂結(ていけつ)セシメタリ。

(しか)ルニ、露西亜(ロシア)、独逸(ドイツ)両帝国、及ビ法朗西(フランス)共和国ノ政府ハ、日本帝国ガ遼東半島ノ壌地(じょうち)ヲ永久ニ所領トスルヲ以テ、東洋永遠ノ平和ニ利アラズト為シ、交々(こもごも)朕ガ政府ニ慫臾+心【ヨウ】(しょうよう)スルニ、其ノ地域ノ保有ヲ、永久ニスル勿(なか)ランコトヲ以テシタリ。

(おも)ウニ、朕ガ恒(つね)ニ平和ニ眷々(けんけん)タルヲ以テシテ、竟(つい)ニ清国ト兵ヲ交ウルニ至リシモノ、洵(まこと)ニ東洋ノ平和ヲシテ、永遠ニ鞏固(きょうこ)ナラシメントスルノ目的ニ外(ほか)ナラズ。而(しか)シテ、三国政府ノ友誼(ゆうぎ)ヲ以テ切偲(せっし)スル所、其ノ意、亦茲(またここ)ニ存ス。

朕、平和ノ為ニ計ル。素(もと)ヨリ之(これ)ヲ容ルルニ、吝(りん)ナラザルノミナラズ、更ニ事端(じたん)ヲ滋(しげ)クシ、時局ヲ艱(たん)ジ、治平ノ回復ヲ遅滞セシメ、以テ民生ノ疾苦(しっく)ヲ醸(かも)シ、国運ノ伸張ヲ沮(はば)ムハ、真(まこと)ニ朕ガ意ニ非(あら)ズ。且(かつ)清国ハ、講和条約ノ訂結ニ依リ、既ニ渝盟(ゆめい)ヲ悔ユルノ誠ヲ致シ、我ガ交戦ノ理由及ビ目的ヲシテ天下ニ炳焉(へいえん)タラシム。

今ニ於(おい)テ、大局ニ顧(かえり)ミ、寛洪(かんこう)以テ事ヲ処スルモ、帝国ノ光栄ト威厳トニ於テ、毀損(きそん)スル所アルヲ見ズ。朕、乃(すなわ)チ、友邦ノ忠言ヲ容レ、朕ガ政府ニ命ジテ、三国政府ニ照覆(しょうふく)スルニ、其ノ意ヲ以テセシメタリ。若(も)シ、夫(そ)レ半島壌地ノ還附ニ関スル一切ノ措置ハ、朕、特ニ政府ヲシテ清国政府ト商定(しょうてい)スル所アラシメントス。

今ヤ、講和条約、既ニ批准交換ヲ了シ、両国ノ和親、旧ニ復シ、局外ノ列国、亦(また)(かよう)ニ交誼ノ厚ヲ加ウ。百僚臣庶(ひゃくりょうしんしょ)、其レ能(よ)ク朕ガ意ヲ体シ、深ク時勢ノ大局ニ視微(しび)ヲ慎ミ、漸(ぜん)ヲ戒メ、邦家ノ大計ヲ誤ルコト勿(な)キヲ期セヨ。

(御名御璽)

明治二十八年五月十日


<現代語訳>

余は先に、清国皇帝(光緒帝)の要請により、全権大使の大臣を任命し、清が選んで派遣してきた使臣と会合・相談し、両国講和の(下関)条約を締結させた。

そういう状況であったところ、ロシア、ドイツの両帝国、及びフランス共和国の政府は、日本帝国が、清より割譲を受けた遼東半島を、永久に所領となすことに関し、東洋の恒久的平和に利するところがないとみなし、三国が交互に朕の政府に対して、その地域の永久所有をしないように、うながし勧めてきた。

顧みれば、余は常に平和を忘れず心がけてきたのであるが、ついに清国と兵火を交えるに至ったのも、これまことに東洋の平和を、永遠に強固なものにしようという目的ゆえにほかならない。そうして、三国の政府が、日本との友好関係をもって、互いに善をはげまし合うその真意もまた、同じ所に存在する。

余は、平和の為に想い図る。もとより、三国の勧めを受け入れるにやぶさかではないだけでなく、この上、事変を重ねて、情勢を困難なものとなし、平和的統治の回復を遅れさせ、それによって民衆の苦しみ悩みを生みだし、国運の発展を阻害することは、まったく余の意とするところではない。かつ清国は、講和条約の締結により、すでに戦前の条約違反を後悔して、至ってその誠意を表し、わが国が交戦した理由と目的(の正しさ)を、天下にあきらかにせしめた。

現時点において、大局的見地に立って顧み、寛大さをもって事態を処理しても、帝国の栄光と威厳が傷つくようなことは何も無い。すなわち、余は友好国の忠言を受け入れ、余の政府に命じて、三国政府にその旨をはっきりと伝えさせた。それが成立するならば、遼東半島返還についての一切の手続きは、余は特にわが国の政府に命じて、清国政府と会談して決定させよう。

今や、講和条約は、既に批准書の交換を終え、両国の親和は旧に復し、局外の諸国もまた友好関係の厚情を深くしている。大臣から官僚役人、庶民にいたるまで、みな余の意図するところを実現し、現在の大局的な情勢を狭い視野で見ることなく、次第に感情を悪化させることを戒め、国家の大きな計画を見誤ることがないように決意せよ。

(御名御璽)

明治二十八年五月十日

(本用語解説中に掲載する詔書原文・読み下し文・現代語訳は、何れも、「神国の森」の主宰者、八神邦建氏入力のテキストを利用させて頂きました。ここに同氏に対し、謹んで感謝を申し上げます。)


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