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清国ト講和後ニ関スル詔勅 (日清戦争講和の詔勅 明治28年4月21日)

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清国ト講和後ニ関スル詔勅

<原文>

朕惟フニ国運ノ進張ハ治平ニ由リテ求ムヘク治平ヲ保持シテ克ク終始アラシムルハ朕カ祖宗ニ承クルノ天職ニシテ亦即位以来ノ志業タリ

不幸客歳清国ト釁端ヲ啓キ朕ハ止ムヲ得スシテ之ト干戈ヲ交ヘ十余月ノ久シキ結ヒテ解クル能ハス 而シテ在廷ノ臣僚ハ陸海両軍及議会両院ト共ニ咸能ク朕カ旨ヲ体シテ朕カ事ヲ奨メ内ニ在テハ参画経営シ貲用ヲ給シ需供ヲ豊ニシ防備ニ力メ外ニ在テハ櫛風沐雨祁寒隆暑ニ暴露シ百艱ヲ冒シ万死ヲ顧ミス旭旗ノ指ス所風靡セサルナシ出征ノ師ハ仁愛節制ノ声誉ヲ播シ外交ノ政ハ捷敏快暢ノ能事ヲ尽シ以テ能ク帝国ノ威武ト光栄トヲ中外ニ宣揚シタリ

是レ朕カ祖宗ノ威霊ニ頼ルト雖モ百僚臣庶ノ忠実勇武精誠天日ヲ貫クニ非サルヨリハ安ソ能ク此ニ至ランヤ 朕ハ深ク汝有衆ノ忠勇精誠ニ倚信シ汝有衆ノ協翼ニ頼リ治平ノ回復ヲ図リ国運進張ノ志業ヲ成サムトスルニ切ナリ

今ヤ朕清国ト和ヲ講シ既ニ休戦ヲ約シ干戈ヲオサムル将ニ近ニ在ラムトス 清国渝盟ヲ悔ユルノ誠已ニ明ニシテ帝国全権弁理大臣ノ按定セル条件克ク朕カ旨ニ副フ治平光栄併テ之ヲ獲ル 亦文武臣僚ノ互ニ相待テ全功ヲ収メタルニ外ナラス 祖宗大業ノ恢弘今ヤ方ニ其ノ基ヲ鞏メ朕カ祖宗ニ対スルノ天職ハ斯ニ其ノ重ヲ加フ

朕ハ更ニ朕ノ志ヲ汝有衆ニ告ケ以テ将来ノ嚮フ所ヲ明ニセサルヘカラス朕固リ今回ノ戦捷ニ因リ帝国ノ光輝ヲ闡発シタルヲ喜フト共ニ大日本帝国ノ前程ハ朕カ即位以来ノ志業ト均ク猶ホ甚タ悠遠ナルヲ知ル 朕ハ汝有衆ト共ニ努テ驕綏ヲ戒メ謙抑ヲ旨トシ益々武備ヲ収メテ武ヲ涜スコトナク益々文教ヲ振テ文ニ泥ムコトナク上下一致各々其ノ事ヲ勉メ其ノ業ヲ励ミ以テ永遠富強ノ基礎ヲ成サムコトヲ望ム 戦後軍防ノ計画財政ノ整理ハ朕有司ニ信任シテ専ラ賛籌ノ責ニ当ラシムヘシト雖モ積累蘊蓄以テ国本ヲ培フハ主トシテ億兆忠良ノ臣庶ニ頼ラサルヘカラス

若夫勝ニ狃レテ自ラ驕リ漫ニ他ヲ侮リ信ヲ友邦ニ失フカ如キハ朕カ断シテ取ラサル所ナリ 乃チ清国ニ至テハ講和条約批准交換ノ後ハ其ノ友交ヲ復シ以テ善鄰ノ誼愈々敦厚ナルヲ期スヘシ汝有衆其レ善ク朕カ意ヲ体セヨ

(御名御璽)

明治二十八年四月二十一日


<読み下し文>

朕、惟(おも)うに、国運の進張は、治平に由(よ)りて求むべく治平を保持して、克(よ)く終始あらしむるは、朕が祖宗に承(うく)るの天職にして、亦(また)即位以来の志業たり。

不幸にして客歳(かくさい)、清国と釁端(きんたん)を啓(ひら)き、朕は止(や)むを得ずして之(これ)と干戈(かんか)を交え、十余月の久しき結びて解くる能(あた)わず。而(しか)して在廷の臣僚は、陸海両軍及び議会両院と共に、咸(みな)(よ)く朕が旨(むね)を体(たい)して、朕が事を奨(すす)め、内に在(あり)ては参画経営し、貲用(しよう)を給し、需供(じゅきょう)を豊(ゆたか)にし、防備に力(つと)め、外に在ては櫛風(しつふう)沐雨(もくう)祁寒(きかん)隆暑(りゅうしょ)に暴露し、百艱(ひゃっかん)を冒(おか)し、万死を顧みず、旭旗(きょくき)の指す所、風靡(ふうび)せざるなし。

出征の師は、仁愛節制の声誉を播(はん)し、外交の政(まつりごと)は捷敏(しょうびん)快暢(かいちょう)の能事(のうじ)を尽し、以って能(よ)く帝国の威武と光栄とを中外に宣揚(せんよう)したり。
(こ)れ朕が祖宗の威霊に頼ると雖(いえど)も、百僚臣庶(ひゃくりょうしんしょ)の忠実、勇武、精誠、天日を貫くに非(あら)ざるよりは、安(いずくん)ぞ、能(よ)く此(これ)に至らんや。朕は、深く汝、有衆(ゆうしゅう)の忠勇精誠に倚信(いしん)し、汝、有衆の協翼(きょうよく)に頼り、治平の回復を図り、国運進張の志業を成さむとするに切なり。

今や、朕、清国と和を講じ、既に休戦を約し、干戈をおさむる。将(まさ)に近くに在らんとす。清国、渝盟(ゆめい)を悔ゆるの誠、已(すで)に明(あきらか)にして、帝国全権弁理大臣の按定(あんてい)せる条件、克(よ)く朕が旨に副(そ)う治平、光栄、併(あわせ)て之を獲(と)る。亦(また)、文武臣僚の互に相待って、全功を収めたるに外(ほか)ならず、祖宗大業の恢弘(かいこう)、今や方(まさ)に、其(そ)の基(もとい)を鞏(かた)め、朕が祖宗に対するの天職は、斯(かよう)に其の重(おもき)を加う。

朕は、更に朕の志を、汝、有衆に告げ、以って将来の嚮(むか)う所を明(あきらか)にせざるべからず。朕、固(もとよ)り今回の戦捷に因(よ)り、帝国の光輝を闡発(せんぱつ)したるを喜ぶと共に、大日本帝国の前程は、朕が即位以来の志業と均(ひとし)く、猶(な)お甚だ悠遠なるを知る。朕は、汝、有衆と共に努(つとめ)て驕綏(きょうすい)を戒め、謙抑(けんよく)を旨とし、益々(ますます)武備を収めて武を涜(けが)すことなく、益々、文教を振(ふる)って文に泥(なず)むことなく、上下一致、各々其の事を勉(つと)め、其の業を励み、以って永遠富強の基礎を成さんことを望む。

戦後、軍防の計画財政の整理は、朕、有司に信任して専(もっぱ)ら賛籌(さんちゅう)の責に当らしむべしと雖(いえど)も、積累蘊蓄(せきるいうんちく)以って国本(こくほん)を培(つちか)うは、主として億兆忠良の臣庶(しんしょ)に頼らざるべからず。

(もし)(それ)勝に狃(な)れて自ら驕(おご)り、漫(みだり)に他を侮り、信を友邦に失うが如きは、朕が断じて取らざる所なり。乃(すなわ)ち、清国に至っては、講和条約、批准交換の後は、其の友交を復し、以って善鄰(ぜんりん)の誼(よしみ)、愈々(いよいよ)敦厚(とんこう)なるを期すべし。汝、有衆、其れ善(よ)く、朕が意を体せよ。

(御名御璽)

明治二十七年八月一日


<現代語訳>

余が深く考えるに、国運の進展というものは、平和裏に求めるべきで、治世の太平を保持して、はじめから終わりまで何事も平和であるようにするのが、余が皇室の祖神・ご先祖から受け継いだ天皇の職務であり、同時に即位以来、志してきた事業でもある。

不幸にして昨年、清国と不和の状態をきたし、余はやむを得ず、清国と交戦にはいり、十数カ月の久しきにわたって戦闘が続き、それを解くことができなかった。しかしながら、わが朝廷の大臣・官僚は、陸海の両軍及び議会両院と共に、全員が余の意志をよく実現し、余の事業を推し進め、国内では戦争遂行のための運営計画に参加して、戦費を調達し、物資の需給を豊富にし、国防につとめ、国外では(軍が)風雨に打たれ、厳寒、熱暑の辛苦にさらされ、あらゆる苦難の体験をし、あまたの犠牲者をもおそれず、日章旗のおもむくところ、従いなびかない者はなかった。

戦地におもむいたわが軍は、仁愛と節制(ある軍隊)の声望と名誉を(戦地や内外に)広め、外交交渉も勝つこと機敏にして、自由にさまたげなく為すべき努めをなし、それによって、よく帝国の軍事の威力と栄光とを、内外に広め伝えた。

このような結果を得たのも、余が祖神祖霊を頼りにしたとはいえ、大臣官僚、国民すべての忠実、勇武、精誠の気概が、天空の太陽をも貫かんばかりだったからであって、そうでなければ、どうしてこのような勝利を得られたであろうか。余は、汝、国民の忠勇精誠に、深く寄り頼み、汝、国民の協力に頼りながら、平和な治世の回復を図り、国運進展の事業を成就しようと切に願っている。

今現在、余は清国と和を講じ、既に休戦条約を結び、軍をひいた。本当に近しくなっているといってよい。清国は、戦前の条約違反を悔いて、すでにその誠意は明確であるし、帝国の全権大使となった大臣の案じ定めた条件も、よく余の意志にそうもので、平和と栄光と、両方を満たす。それだけではなく、文武の大臣官僚たちが互いに力を出し合ったからこそ、完全な成功を得たのにほかならず、祖神祖霊より受け継いだ大業を押し広め、今こそ、その基盤を打ち固め、余が祖神祖霊に対して受け持つ天皇の事業は、以上のような経緯でその重みを加えるものである。

余は、更に余の志を、汝、国民に告げ、それをもって将来にわたっての方向性を明らかにせずにはいられない。余は、もとより今回の戦勝によって、帝国の光輝が開けて明らかになったことを喜ぶとともに、大日本帝国の前途は、余が即位以来、志としてきた事業と同様、なお非常にはるかに遠いものであることを知っている。余は、汝、国民と共に、驕りと油断を戒めるよう努力し、へりくだった自制を旨とし、ますます軍備を充実し、武名をけがすことなく、ますます文教政策を振興して、文に馴れることなく、上下のものがみな一致して、各自が文武の事につとめ、職業に励み、それをもって帝国の永遠富強なる基礎と成すことを望むものである。

戦後の軍事計画、軍財政の整理については、余は政府役人を信任し、常に図って相談しあう責務に当たらせるけれども、政府役人の知識・知恵の蓄積をもって国そのものをつちかってゆくには、主に何千何万というわが国民の力に頼らないではいられないものである。

もし、わが国が今回の勝利に馴れて自ら驕(おご)り、みだりに他国を侮り、友好国の信用を失うようなことは、余が断じて認めないところである。すなわち、清国の場合であれば、講和条約と批准書の交換の後は、其の友交関係を旧に復し、それをもって善い友好関係を結ぶことを、以前にもましてさらに厚くすることを決意するべきである。汝、国民は、そのような余の意志を、よく実現せよ。

(御名御璽)

明治二十七年八月一日

(本用語解説中に掲載する詔書原文・読み下し文・現代語訳は、何れも、「神国の森」の主宰者、八神邦建氏入力のテキストを利用させて頂きました。ここに同氏に対し、謹んで感謝を申し上げます。)


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