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日米修好通商条約 (1858)

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政5(1854)年6月19日、徳川幕府と米国総領事・ハリスとの間に締結された条約。万延1(1860)年、米国首都・ワシントンで批准書を交換し正式に発効。条約の骨子は、既に開港済みの下田・箱館(現・函館)に加え、新たに神奈川・長崎・新潟・兵庫の四港を開港し、外国人居留地を設置する。商業活動の為に、外国人の江戸・大坂(現・大阪)滞在を認める。更に領事裁判権の規定と、日本側の関税自主権の否定と言った不平等条項も規定しており、明治32(1899)年の日米通商航海条約発効迄、この不平等条項は存続した。ちなみに、安政5年に調印された蘭(オランダ)・露(ロシア)・英(イギリス)・仏(フランス)との同内容条約と共に、「安政五ヶ国条約」あるいは、「安政仮条約」と総称される。


日米修好通商條約(抄)

安政5年6月19日(1858年7月29日)調印
江戸幕府とアメリカ合衆国との間の条約

原文は片仮名・旧字体・句読点なし

第三條
 (上略)此ヶ條の内に載たる各地(開港場)は、亞墨利加人に居留を許すへし。居留の者は、一箇の地を價を出して借り、又其所に建物あれは是を買ふ事も妨なく、且住宅・倉庫を建る事をも許すへしといへとも、是を建るに托して、要害の場所を取建る事は決して成さるへし。(中略)双方の國人、品物を賣買する事總て障りなく、其拂方等に付ては日本役人これに立會はす。諸日本人、亞墨利加人より得たる品を賣買し、或は所持する、倶に妨なし。(下略)
第四條
 總て國地に輸入輸出の品々、別册の通、日本役所へ運上を納むへし。
 日本之運上所にて荷主申立の價を奸ありと察する時は、運上役より相當の價を付、其荷物を買入る事を談すへし。荷主もし之を否む時は、運上所より付たる價に從て運上を納むへし。承允する時は其價を以て直に買上へし。(下略)
第五條
 外國の諸貨幣は、日本貨幣同種類の同量を以て通用すへし。金は金、銀は銀と、量目を以て比較するをいふ。双方の國人互に物價を償ふに日本と外國との貨幣を用ゐる妨なし(中略)日本諸貨幣は銅貨を除く、輸出をする事を得。并に外國の金銀は、貨幣に鋳るも鋳さるも、輸出すへし。
第六條
 日本人に對し法を犯せる亞墨利加人は、亞墨利加コンシュル裁斷所にて吟味の上、亞墨利加の法度を以て罰すへし。亞墨利加人へ對し法を犯したる日本人は、日本役人糺の上、日本の法度を以て罰すへし。

(本用語解説中に掲載する条文は、河原一敏氏入力のテキストを利用させて頂きました。ここに同氏に対し、謹んで感謝を申し上げます。)


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