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千島・樺太交換条約 (樺太・千島交換条約 1875) |
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明治8(1875)年5月、海軍中将兼駐露公使・榎本武揚(えのもと-たけあき)と、ロシア帝国首相兼外相・ゴルチャコフとの間に調印された日露二国間の国境確定条約。樺太・千島交換条約共呼ばれる。安政元(1854)年に締結された日露和親条約では、千島列島は、択捉(エトロフ)・得撫(ウルップ)両島間を国境線とし、樺太(サハリン)については両国民雑居としていた。しかし、樺太で日露両国民間に紛争が生じた事から、国境線を確定する必要が生じ、樺太をロシア領、千島全島を日本領とする事で決着した。ちなみに、現在、日本が主張する「北方領土」は、安政の日露和親条約に立ち返り、「択捉島以南は日本領」と言う見解に基づいている。
明治8(1875)年5月7日 「セント・ピータースブルグ」ニ於テ記名
明治8(1875)年8月22日 批准
明治8(1875)年8月22日 東京ニ於テ批准書交換
明治8(1875)年11月10日 布告
(本用語解説中に掲載する条文は、河原一敏氏入力のテキストを利用させて頂きました。ここに同氏に対し、謹んで感謝を申し上げます。)