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安南都護府

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・唐(支那)が周辺諸民族統治の為に設置した機関である「都護府」の一つ。唐は、「帰順」(服属)した異民族の地に都督府・州・県を設置、その地の部族長を長官に任命し、それらの上に更に都護府を設置、唐本国から官吏・軍隊を派遣して異民族統治を管理監督させた。安南都護府の前身は、唐が、武徳5(622)年、交州(現在のハノイ)に設置した交州大総管府で、調露元(679)年、安南都護府と改称された。その後、咸通元(860)年・同4(863)年の二度にわたって、交趾(ベトナム)が南詔国(現在の雲南省にあったチベット=ビルマ族の王国)に占領され一時断絶。直ぐに復活したが、唐滅亡後の939年、ベトナムが独立し、呉権(ゴー=クェン)が呉朝が建国するに及んで消滅した。ちなみに唐は、安南都護府を始めとして、安西(640年 現在の新疆ウイグル自治区トルファン、後にクチャに移転)・安北(647年 外モンゴル)・単于(ぜんう:650年 現在の内モンゴル自治区フフホト付近)・安東(668年 平壌)・北庭(702年 現在の新疆ウイグル自治区ジムサ北方)の六都護府を周辺支配地域に設置した。


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