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ポル・ポート Pol Pōt 1925-1998

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ポル=ポート ンボジアの独裁者。ポル=ポト派最高指導者・民主カンプチア首相(在任 1976-1979)。本名は、サロット=サル(Saloth Sar)と言い、同国コンポントム州出身。1940年代にインドシナ共産党の指導者・胡志明(ホー=チ=ミン:ベトナムの「国父」)の下で反仏抵抗運動に参加。1949年から1953年迄パリに留学し、帰国後、教師のかたわら、反仏地下運動に参加。1960年、カンプチア共産党中央常任委員を経て、1962年、同党書記に就任。1967年、反政府武装組織「クメール-ルージュ」 ── ポル=ポト派を、義弟イエン=サリ(夫人のキュー=ポナリと、イエン=サリの夫人イエン=ティリトは実の姉妹)等と共に組織し、ゲリラ闘争を開始。1975年、親米のロン=ノル政権を打倒すると、翌年、自ら首相に就任した。しかし、首相在任中、数百万人もの国民を虐殺する等、狂信的な政策を指導したため、親越のヘン=サムリンによって政権を打倒され、北部タイ国境地帯を拠点にゲリラ活動を展開した。その後、1993年に和平が成立し、新生カンボジア王国が成立すると、「大量虐殺」を裁く為の国際法廷設置論議が活発化。現フン=セン政権下で、旧ポル=ポト派の幹部・兵士が次々と政府に帰順すると、遂には派内でも「失脚」。ポル=ポトを「戦犯」として逮捕拘束する機運が高まる中、1998年、急死。死体の指の爪(の下)が紫色に変色していた事等の検死所見から、服毒自殺あるいは毒殺されたものと見られている。


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