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マタ・ハリ Mata Hari 1876-1917

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マタ=ハリ 艶な容姿と官能的な舞踊で全世界を魅惑した世紀の女スパイ。オランダ北部フリースランド州レーウワルデン生まれのオランダ人。本名は、マルガレータ=ヘルトロイダ=ツェレ(Margaretha Geertruid Zelle)。通名の「マタ=ハリ」は、マレー語で「暁(あかつき)の目」・「太陽」の義。裕福な実業家の娘として生まれたが、父の経営していた帽子店が倒産し、父とは生き別れ、母とは死別し、親戚に預けられた。1895年、19歳の時、オランダ軍将校 ルドルフ=マクラウド陸軍大佐と結婚し、当時、オランダ領だったボルネオ・スマトラ・ジャワ(オランダ領東インド=蘭印)に赴任。現地でジャワ舞踊に傾倒し「マタ=ハリ」を自称。しかし、赴任先で夫婦生活が破綻し、オランダ帰国後、別居。ついでパリへ赴き、高級娼館でヌードダンサーとしてデビュー。宝石を鏤(ちりば)めたブラジャーのみで踊り狂う神秘的さが話題となり、一世を風靡した。その後、フランスの諜報員(スパイ)となり、ドイツの情報を入手する様になるが、フランス情報部から「ドイツとフランスの二重スパイ」をしていたとの容疑をかけられ逮捕。パリのサンラザール刑務所へ収監され、1917年7月24日、パリ第三軍法会議に於いて死刑宣告。同年10月15日未明、バンセンヌで銃殺刑に処された。享年41歳。(『東洋のマタ=ハリ』と呼ばれた川島芳子も最期は銃殺刑に処されたが、その彼女も享年41歳だったのは何かの因縁だろうか)

(ちな)みに、二重スパイ容疑で逮捕されたが確証は無く、実際は、当時、フランス国内に激震が走っていた疑獄事件に関連して、内情に詳しかった彼女の口を封じる為、粛清したのでは無いかと言われている。


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