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宇多天皇 867-931

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安時代の天皇(第59代(宮内庁による) 在位 887-897)。光孝天皇(在位 884-887)の第七皇子。母は桓武天皇の皇子・仲野親王の娘・斑子女王。名は定省(さだみ)。譲位後の在所の名に因(ちな)み、宇多院(天皇)と追号され、寛平(かんぴょう)法皇・亭子院(ていじのいん)共呼ばれた。当初、「源」姓を賜(たまわ)って臣籍降下したが、関白・藤原基経(ふじわらのもとつね)の強い働きかけで仁和(にんな)3(887)年8月25日、皇籍復帰し立太子。翌26日、父の光孝天皇が崩御したのを享(う)けて践祚(せんそ)、11月7日に即位した。宇多天皇は子宝(こだから)に恵まれ、孫の殆(ほとん)どが源姓を賜って臣籍降下し、後に「宇多源氏」と呼ばれる事となった。宇多天皇の治世は、藤原時平(ふじわらのときひら)・菅原道真(すがわらのみちざね)を重用し、世に「寛平の治」と呼ばれる善政が布(し)かれた。更に、譲位後も「寛平法皇」と称し、(上皇)として醍醐(だいご)天皇(在位 897-930)を指導。その政策は醍醐天皇から村上天皇(在位 946-967)へと継承され、「延喜天暦(えんぎ-てんりゃく)の治」へと繋(つな)がった。


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